昨今の「ひきこもり」「こもりびと」などの呼び方が議論されることについて

「ひきこもり」という言葉の不確定さについて考えていた
一般的に(?)ひきこもりと呼ばれる人の中には精神疾患が原因の人もいれば原因わからないけど辛い人もいたり、外に出たいけど出れない人もいればそもそも外に出たくない人もいて、つまり目指す人生のゴールもおそらく全然違う人々の集まりで、
それらの人をこもりびとやひきこもりという同じ言葉で呼んでいることで似たような人たち、と勝手に認識してしまっている部分はあると思う

では呼び名を細分化するのかというとそうではなくておんなじではないんだなと改めて頭の隅に置いといてほしいという願いがある
そう考えると一人の人の講演を聞いても、一人の人の考えを聞いても全てを理解したことにはならないと、実態はわからないということがわかるはず

そもそも偉い先生もひきこもった経験がある人もみんな全てを理解することは不可能で、例えていうなら海外の人が「日本人」という括りで我々をみているみたいな

一括りにされているけどみんな違う人間で、みんな世界で唯一の人で、

じゃあどうすればいいんだと思うけど正解なんてなくて、ひきこもりとしてではなく世界で唯一のその人をしっかり見つめないとわからなくて、

私も経験談を話すことはできるし傾向としては当てはまる部分もあるだろうけど、(日本人はこういう人が多い!的な)

結局はたくさんの人の考えや意見や方法を聞いたり考えたりして、
取捨選択していくしかないとしか言えないと思うのです

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