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【ネタバレ・ネガティブ・追記あり】蒼穹のファフナーTHE BEYOND完結に寄せて

※蒼穹のファフナーTHE BEYOND最終章は4回見ました。
※パンフレットはまだ読んでいません。本編を見て感じたことを受け止めるのでいっぱいいっぱいです。
※少し追記しました(2021/11/09:主に私の真壁一騎への認知の歪み、来主操のBEYOND(価値転換)について)


大好きだった島に帰れなかった、前は島民だった、今はもうどこにもいない亡霊の呻きです。
私は神話とか英雄譚とかではない、等身大の島の人々の群像劇であるファフナーが好きでした。
書き上げてから読み直してみたら思った以上に感情的で怨念がこもった文章になってしまっていたので、「蒼穹のファフナーは最高の終わり方をした!」と思っている島民さんは読まない方がよいと思います。

少しでも救いを求めて、ファフナーという物語に長年寄り添ってきた演者さん達が今何を考えているのか知りたくて舞台挨拶1回目に行きました。
そこで某人の発言に打ちのめされ、塩をかけられたナメクジのように島民だった私はしおしおになってどこにもいなくなってしまいました。
2回目の舞台挨拶も予約していましたが、もうこれ以上打ちのめされたくなくてキャンセルしました。
舞台挨拶で私が欲しかったものをくれたのは石井真さんだけでした。
誤解を与えそうなので補足しますが一名を除いて石井さん以外の登壇者に思うところはありません。
むしろ石井さんが登壇者として許されるギリギリのラインまで攻めてきてくれたのだと思っています。
でも私は今、自分がどこにいればいいのか、どこにいるのかわかりません。

「どうせ見に来る」って、なんなんでしょうね。
私はファフナーを作っている人達からそういう存在だと思われていたんでしょうか。
どんな物語の結末を提示されても受け入れ、どうせ見に来るのが島民ならば、私はもう島民ではいられなくなってしまいました。
BEYOND最終章は4回見ましたが、これ以上見ることができるかどうかはわかりません。
おそらく興行収入確保のためにも今後私が一番好きな真壁一騎の描き下ろし色紙が入場特典になると踏んでいますが、それでも見に行くのが躊躇われます。
こんなことになるとは思わず総士生誕祭のチケット抽選も申し込んでしまったのですが、現時点ではもし当選してもお譲りに出そうと考えています。
総士生誕祭は島民のためのイベントなので、島民ではいられなくなってしまった私にはもう居場所がないんです。
<2021/11/09追記>
いろいろ振り返っていて3回目を見た直後のふせ(https://fusetter.com/tw/ZurZK0wL)が燻ってはいてもこのnoteよりまだ情緒が安定していて笑いました。
ほんっとうにトドメの一撃だったんですね、「どうせ見に来る」発言。
今は認知の歪みに気付いた点もありますし、予想通り真壁一騎描き下ろし色紙が来て欲しい気持ちもあるのですが「どうせ見に来る」の呪いが成就するのは嫌だと呻いています。
<追記終わり>

フォローをするならば、舞台挨拶はお仕事です。
社会人として関わった作品の営業活動業務です。
だからその場で作品の出来を下げるようなことは言えないでしょう。
舞台挨拶の場に立っている人がそういうことを言うのはこの結末に感動して満足している「島民」にとって失礼な砂かけ行為です。
過去には舞台挨拶の場ではないですが出演作について聞かれて「別に」と発言して炎上した女優もいます。
作品制作に携わってきた個々人としてどのような気持ちがあったとしても、肯定的なメッセージを発信するのがお仕事だとは認識しています。
(にしたって「どうせ見に来る」はいくらなんでも酷いよ。相方さんが窘めても連呼するし)

でも私にはそれこそが、「今まで自分達が築き上げて来たものの価値を毀損することができず、形骸化してしまっても固執する」というBEYONDで小さな総士くんが否定しようとしたダメな意味でのアルヴィスのあり方そのものに映ってしまいました。
私はずっとファフナーという物語が17年間主要なスタッフが入れ替わらず一貫した体制のもとで続編が作られていることをすごいと思っていました。
<2021/11/09追記>
事実と違うことを書いていました。
無印~EXODUSまで監督を手掛けていた羽原信義さんがBEYONDでは離脱しています。
私が好きだった蒼穹のファフナーに羽原監督が貢献していた部分はもしかしたら思っていたよりも大きかったのかもしれません。
<追記終わり>
今となっては恥ずかしいことに島民として誇らしさすらありました。
BEYONDが終わってみれば主要な制作陣に世代交代がなく、新しい風が吹かないまま作られた「世代交代」をテーマにした物語は虚しさだけを私に残しました。

前シリーズまで26話あっても足りないと言われていた尺問題がまったく解決していないまま乱立するエピソード。
島民と呼ばれるほど濃いファンの知識量と行間を読む力に依存した演出。
「いつまで同じことを繰り返すつもりなんだ!」と小さな総士くんの言葉をそのまま返したくなるセルフオマージュの濫用。
短い尺のなかで新世代への世代交代を行うために、それまでの理念すら捨て犠牲を容認した旧弊として描かれた、私が好きだった島のみんな。

自分を捧げず手に入るのなら欲しかった未来があった、泣きながら消えていったあの子が自分を捧げて手に入れた未来はこれだったんですか。

もちろんよかったこともあったんですよ。
平井久司さんの原画で描かれた綺麗な作画の、大好きな島のみんなを大画面でたくさん見ることができた。
少ないセリフ数の中でもキャラの心情を精一杯伝えようとする演者さん達の渾身の演技が聞けた。
オレンジさんによる、さらに進化したファフナーの機体描写、ロボットバトルが見れた。
angelaさんの新しい曲もたくさん聞けた。
作品外だとマークザインとマークニヒトが待望のプラモデル化も成し遂げました。

特にangelaさんとオレンジさんはすごいです。
atsukoさんの歌声に合わせて進化したCG技術による白熱のロボットバトルシーンを見せられたら「わぁ!私今すごいものを見ている!素敵!」って強制的にテンション上がってしまうんです。
それが脚本上は新主人公が「他者に犠牲を強いるなんておかしいだろ!」と至極まっとうな主張をしているのを、思考停止した馬鹿になってしまった旧主人公が止めているクソ老害ムーブをかましている場面であったとしても。
真壁一騎とマークアレスが好きな私にとっては「どうして…どうして…」と感動とはまったく違う意味で泣きたくなってしまう場面でも名シーンのように魅せてしまう力がありました。
制作陣がangelaさんにいっぱい新曲書かせたの、結局素の脚本の力で戦えない不安があったからじゃないかと邪推してしまうくらいです。

この終わり方に対して「あの絶望的な状態からよくこのハッピーエンドにたどり着いた!」って絶賛する島民さんがいるのもわかるんですよ。
EXODUSとBEYONDの間では脚本のマッチポンプが成立しているので。
EXODUSで散々自己犠牲の受容と失われていく命へのフラストレーションを溜めておいて、BEYONDで「自己犠牲なんて馬鹿だ!」と否定する。
そりゃあスッキリします。私もします。

でも無印からずっと戦いの終わりを望んできた17年ものの怪物の私は今、たとえるなら開発陣がどんどんクリア条件をインフレさせていくクソMMORPGでみんなで協力してシナリオクリアを目指していたのにチートコード入力で強制的にエンディングイベントが始まってしまったような、そんな置いてきぼりの気持ちを味わっています。
チートコード入力した子達には悪意はなくて、苦しんでるみんなを救いたいって気持ちだったのはわかるので余計に気持ちのやり場がない。

島民さんのなかには「今までみんなが頑張ってバトンを繋いできたから総士くんと美羽ちゃんが未来へたどり着けたんだよね」とおっしゃっている方もいます。
でも私には島民さん達がどこか無理矢理自分にそう言い聞かせているように見えてしまいます。
そう感じてしまう時点でその方に対して失礼ですし、でも同じように考えられない私はもう島民ではなくなってしまったのだと思います。

蒼穹のファフナー全体としてのエンディングイベントの始まりを「みんなでたどり着いた終わり」として説得力があるものにできなかった制作陣の力量にただただ悲しみを覚えます。
作中で散々「白紙の未来」を連呼していましたが、少なくとも私にとってはEXODUSが終わった時の方が余程いろんな未来の可能性を想像する余地がありました。

<2021/11/09追記>
【アルヴィスについて】
蛇足ですが私は今も昔もアルヴィスのことを「完璧で理想的な組織だ」とは思っていません。
普通の人々が生き残るために寄り添ってできた共同体だからです。
何か特技はあったとしても万能ではない普通の人を何人足したって「絶対に過ちを犯さない完全な存在」にはなれません。
それでも独りでいるよりは互いに足りない部分を補い合い「それ」に近づけるから人(というかある程度知能が発達した生命体)は共同体を作って生きていくのだと思います。
アルヴィスは過ちもたくさん犯しましたが、少しずつ前進もしていきました。

甲洋は同化されてしまったけれど、その身体に起きた事象を解析することで他のパイロット達の延命を図りました。
そうやって生き延びた子供達があちら側に行きかけた甲洋を人の心を持った存在として留めました。
ほとんど丸腰で出陣させたマークゼクスを初陣で失いましたが、頭突き攻撃するパイロットが現れたら即座に頭部兵装を造って対応できるようになりました。
衛の戦いから誤った学習をした広登の暴走を剣司が正しました。

ひとつひとつ挙げていったらキリがないですけれど。
ダメなところもある完全な存在ではないが故に頑張って前進しようとする島のみんなを見守ることが好きでした。
特に「ひとりになりたい」「自分なんてどこにもいなくなればいいのに」と考えていた一騎くんが不器用ながらも他者と関わる道を選んだことに惹かれていました。
私自身、このクソみたいな現実からいなくなりたいと願っても柵があってそれを選び切ることができず、折り合いをつけながら生きる日々を繰り返しているからです。
陳腐な表現ですが「島のみんなが頑張って生きているから、私も頑張って生きよう」という17年間でした。

もちろんどんな組織も疲弊していきますし、いずれ限界が来ます。ヒトもモノも仕組みも、永続するものなんてないんです。
私自身EXODUSを見ている時からアルヴィスが少しずつ軋んでいくことを感じていました。
具体的には彗達次世代のパイロットを選出して、戦いの継承を行ってしまった辺りからです。
織姫ちゃんが示唆していたようにあまり良くない方向に進んでいる気がしました。

でもその疲弊や限界による停滞を「蒼穹のファフナー最終章」と自ら名乗りを上げる作品でここまで尺も描写もカツカツなまま露悪的に描写されてしまったことがとても、とてもショックでした。
やっぱり私は、どんなに愚かでも島のみんなが大好きだったから。
今も簡単に失望して嫌いになれないから。
完璧な存在じゃなくて過ちも犯すからって、あそこまで支離滅裂でダメな存在として描かれなくてもいいじゃないって思ってしまうから。
史彦さん、「あるべき姿を見失わないからこそ生き残る意味がある」って特大ブーメランですよ。
「白紙の未来が来たのだから島のみんなが変われる可能性もある」という感想を見ましたが、私は今はその後の島のみんなのことを思い描くことができません。
無印の後も、HAEの後も、EXODUSの後も、島のみんなのその後を想像してきてはHAE以外では制作陣に打ちのめされることを繰り返してきたから疲れてしまった。
苦しくて苦しくて、こうやって少しでも吐き出して物語の終焉に蹴りをつけようと足掻いています。
これでも今は当初より少し成仏に近づいているので言語化によるセルフ読経には効果があるのだと思います。
<追記終わり>


以下、私が好きだった島のみんなについて。


【小さな皆城総士くん】
生まれてきてくれてありがとう。
あなたのことを好きになれたからBEYONDをここまで追い続けることができました。
おかしいことをおかしいってハッキリ言う、無印の頃の真矢ちゃんが担っていた役割を受け継いでくれてありがとう。
集団の中にあって同調圧力に屈しない人がいるということはいつだってとても大事なことです。

だからこそ直前まで一切そんな素振りがなかったのにラストシーンでいきなりポエマーになってしまって残念でした。
総士くんは作中一貫して「僕は以前いた皆城総士とは違う存在だ」と主張してきました。
詩的な言い回しを好むこともなく、歳相応のストレートな(時にストレート過ぎるくらいの)物言いをしていました。
思考停止して同じことを繰り返すことに異議を唱えて未来を掴みました。
そんな君が何故ラストシーンでいきなりポエムを詠みだしたのか私にはわかりません。

『蒼穹のファフナーのラストシーンは皆城総士のポエムで〆るもの』

そういう様式美、お約束の踏襲なのかもしれません。
でもそれこそが、作中で彼が否定してきた「思考停止して同じことを繰り返す」象徴ではないでしょうか。
今ここにいる皆城総士は、今までポエムで蒼穹のファフナーを〆てきた皆城総士とは違う存在なのに「皆城総士だから」と雑にポエムを詠まされていると感じました。
しかもポエムの内容も今ここにいる総士くん自身がBEYONDの物語を通じて得たものを語っていると言うよりは、制作陣の思想を代読させられている感が強い。
全文を記憶している訳ではないので何度か見たら「ああ、そういう意味だったのか」と納得するのかもしれませんが、今は見る気力がありません。
だから現時点ではただ「締めの演出がダダ滑りした」「小さな総士くんのキャラすら崩壊した」としか思えません。

あと灯篭流しのくだりには違和感があるのですが、小さな総士くんに罪はないと認識しています。
アルヴィスに来るまで葬式すら知らない子だったのです。
無知は罪という考え方もあるかもしれませんが、ならば教えない罪もあり灯篭流しのくだりは後者の部分が大きいと思います。



【日野美羽】
どうしてこうなったその1。
無印の時、島のミールが命を学習して宿った新たな希望がどうしてこうなってしまったのでしょうか。
EXODUSで強烈なトラウマと罪悪感を植え付けられ、強迫的に自己犠牲を遂行しようとする彼女が救われる日を来ることを願っていました。
それがこんな歪んだ形で成就してしまったことが悲しい。
デウス・エクス・マキナとして脚本に利用されるままで終わってしまった、私にはそうとしか思えません。
やっと「おはなしがしたい」と自分の願いをハッキリ口にすることができたのに、その後脚本が美羽ちゃんにさせたことは以下です。

●アルタイルを「この子は誰のものでもない」と言いながら「なぜ地球に来たのか」とアルタイル自身の意志を問うこともなくみんなに分配した。
 結局アルタイルのあり方を美羽ちゃんが勝手に決めてしまっている。

●「乱暴なことは嫌」と言いながらマークレゾンにルガーランスでビームを放ったりぶん殴ったりしている。
 マークレゾンはマークザインの中のアルタイルを狙っているので仕方がない側面もあります。
 でもこんな時こそ、EXODUSで「自分達には戦うことしかできないから、せめて対話の可能性を守ろう」という諦念を植え付けられた真壁一騎や遠見真矢が身体を張るべきだったのではないでしょうか。
 美羽ちゃんからレゾンへの攻撃は正当防衛の範疇として収まる描写であればよかったと思います。私には過剰防衛に見えました。
 制作陣が「世代交代」へ固執するあまり、人格描写の破綻を起こしてでも新世代にすべてをやらせ、旧世代に何もさせなかったように感じます。

●「あの子とお話しなきゃ」とマレスペロのもとに向かうも、彼の悲しみの吐露や傷を塞ぐことに向き合わず「生まれ変わりリセットボタン」を押してしまった。
 海神島の人々を守れなかった悔恨に滂沱たる涙を流すワダツミノミコトくんはあれで救われたんですか?
 小さな総士くんが体現するように新しく生まれてくる子はまったくの別存在であり、個人的にはあれが一方的に奪われた苦しみに藻掻く今のマレスペロ(ワダツミノミコト)への救済には見えませんでした。
 最後の最後まで誰もワダツミノミコトと対話せずに一方的に扱われたと感じました。

●マレスペロを転生させる為に地球上のすべてのフェストゥムの命を消費した。
 おはなしは?
 あれってフェストゥム側から見て「アルタイルというチートクラスに強力なミールに従属させられ、新たな命の誕生のために自己犠牲を強いられること」と何が違うのでしょうか。
 結局セレノア、レガートという脚本の都合による一部の例外を除いてフェストゥムはミールに逆らえない力関係は変わらないままでした。
 せめてアルタイルと美羽ちゃんの力だけでマレスペロが転生していたら見方も変わったのでしょうが。
 「地球上からフェストゥムは消えました。めでたしめでたし」にするための雑ジェノサイドを「命の新生」という美しい欺瞞に包んでお出しされたと感じました。
<2021/11/09追記>
 それまでも少しずつ感じていた「フェストゥムの命の重さ」への認識が私と制作陣で決定的に食い違ってしまった瞬間でした。
 小さな総士くんがあのジェノサイドを看過していたのがその証左だと思います。
 小さな総士くんってフロロ=フェストゥムを妹だと思って生きてきて、唐突にフロロを奪われた苦しみを今なお抱え続けているからこそ輝夜朔夜に「お兄ちゃん」って言われるの嫌だったんですよ。
 そんなフロロと同じ生き物が目の前でたくさん命を喪っていくのにあの聡い小さな総士くんが憤りを抱かなかったの、彼自身の問題ではなく制作陣にその認識が欠けていたのではないかと思います。
<追記終わり>


あとこれは美羽ちゃんを生まれた時から見守ってきた近所のオバちゃん的な細かいケチなんですけどね。
映画館で美羽ちゃんのパネルの股間の部分だけを拡大してスマホで撮影している人がいたんです。
周囲の目があるなかでそういうことを平気でできることが気持ち悪いと思いました。

そして同時に、BEYONDでの美羽ちゃんの扱いを振り返れば近所のオバちゃん的には大変遺憾なことに「仕方がないな」という感情も浮かんできたんです。
ズボンからハミ出たパンツが描かれたり、お尻の方から舐めるようなアングルで描写されたり。
制作陣がそういう風に描写しているアニメキャラクターをズリネタとして消費する視聴者が現れることは止められない流れだと思います。
架空存在に対する表現の自由と規制はずっと議論されていることですし一律規制せよみたいなこと、私も軽々しく言えません。

まぁ自分のことを美羽ちゃんの近所のオバちゃんだと思い込んでいる狂人としては気持ち悪いとしか思えないんですけどね。
本当に、制作陣は美羽ちゃんのことなんだと思っているんでしょうか。
個人的にはポリコレがすべて正しいとは思っていませんが(昔の作品でポリコレ的には正しくないけれど今も面白いものはたくさんありますし)、特に内容の面白さに寄与することもないのに時代の流れに逆行していく描写だと感じたことは書き留めておきたいと思います。



【真壁一騎】
どうしてこうなったその2。
もしかしたら私が好きだった一騎くんはもうどこにもいないのかもしれない。
そう思うと涙が止まらないんです。
BEYONDでは行動理由や心情描写がされてこなかったけれどそれは小さな総士くん視点だからで、EXODUSでミールの祝福を受けた彼は何か彼なりの思想があって行動していて最後にはそれが明かされると信じていたんです。
HAEでは「お前の神様に抗え!」って言っていたのに「美羽ちゃんの言うことには逆らえない」って言っていたのも、ミールの影響を受けて何か行動制限がかかっているのかなって。

それが、なに。
犠牲が出ることは仕方ないって諦めて思考停止した馬鹿でした、って、なに。

THE FOLLOWER2で「自分や他者の犠牲を払ってでも未来への対話の可能性を諦めない」って一騎、大きな総士、真矢が三人そろって島のミールに伝えた決断は、結局「どんな犠牲が出ても抗わず、思考停止して受け入れます」って意味だったんですか。
少なくとも一騎くんはそのつもりだったんですか。
たとえ制作陣がEXODUSの時点からそういうものとして描いていたとしても、その事実を受け入れるには無印の頃から真壁一騎を好きだった(こんな扱いをされても、今もまだ好きな)17年間が私の中では分厚い壁になってまだまだ時間がかかります。
つらい。とてもつらい。
自己犠牲をやめて生き残って欲しい、また空を綺麗だと思ってほしい、小さな総士くんが昔の記憶を思い出して一騎くんも素直にお話をして関係改善に向けて前進してほしい。
最終章が公開される前に真壁一騎に願っていたことのうち2つは明確に叶ったのに、それでもなおこんなに打ちのめされる悲しい描写がされるとは夢にも思っていませんでした。

これが蒼穹のファフナー全体の最終章でハッピーエンドだと言うならば、私はそれを認めることができない。

最後の島からの旅立ちにしても、中学生の頃に願っていたことが叶いましたね、という脳内補完はできるのですが、それはあくまで脳内補完でしかないんですよ。
島を出たいと願っていた何も知らなかった中学3年生の頃からいろんなことを経験して変わった今の26歳の真壁一騎がなぜ島から旅立つのか、すべてが推測の域を出ないんです。

一緒に生きた大きな総士がいない竜宮島にいるのはまだつらいから。
世界にはまだ人類から迫害されているフェストゥムがいるかもしれないから。
罪人として自分を閉じ込めた過去から解放されて自由になったから。
白紙の未来が訪れたから。
想像することはできるけれど、何もかも決め手になる描写がない。

演出技法としての「想像の余地がある」描写は嫌いではありません。
むしろ個人的には好きな方だと思っています。
でもそれは描写すること、伝えることを放棄することとは違うと考えています。
プロ島民から見れば「描写されてるのにお前が見落としているだけだ」ってこともたくさんあるのかもしれないですけれど。
今はただただ、真壁一騎の何もかもがわからないことがつらいです。
大好きな一騎くんのことを理解したい。
でも今はあの最終章を再び見る気力がありません。

しかもあの旅立ちに「Shangri-La」を流すことへの違和感が時間が経つほどに増していきます。
「愚かでいいのだろう」って、真壁一騎は総士くんに「思考停止した馬鹿」って断じられたんだから愚かでいい訳ないでしょう。
「幼い僕らは的外れだらけさ」ってもう26歳ですよ。14歳でいきなり大人になることを強いられた時とは状況が違うでしょう。
描写不足をangelaの歌で誤魔化されている(誤魔化しきれていない)と思いました。

なんなんでしょうね、この、14歳の頃に島を守るための戦いを強いられた少年が長い時を経て戦いから解放され、島を出て旅をするエンディングなのに腑に落ちないのは。
そう思っていたんですけれど、舞台挨拶の石井さんの言葉がしっくりきました。

「真壁一騎が物語から置いていかれてしまった」

ああそうか、と思いました。
真壁一騎は戦う運命から解放されたんじゃない。
戦いの中心から爪弾きにされて脱落してしまったまま物語が終わってしまった。
本当に戦う運命から解放されたと当人が認識できていないから、今もなお命の使い道を探している=日常生活に戻れない。
そういう風に感じてしまうから私はこの終わり方が腑に落ちないんだと納得しました。

しかも真壁一騎にとって重要なイベントであるはずの「前にいた皆城総士との決別」ですら彼自身の決断ではなく小さな総士くんによって決められてしまった。
唯一自分の意志で決めたであろう、島から旅立つことにしても動機が語られない。
ファフナーは存在を選び続ける物語のはずなのに、真壁一騎がどこにもいない空虚な存在に思えることがつらい。
私はこの不完全燃焼感を一生抱えて生きていくことになると思います。
真壁一騎のこと、今でもやっぱり好きなので。


<2021/11/09追記>
なんか私、11話のマークニヒト対マークアレスの場面でショックのあまり頭が真っ白になって、そもそも何がショックの原因だったのか思い違いをしていたことに気付きました。
混乱のあまり「馬鹿の中の最悪の馬鹿」という強い言葉の力に惑わされて思考が直結してしまっていました。
私が11話のあの場面でショックを受けた本質はそこではありませんでした。

そもそも私、PVで小さな総士くんが「馬鹿の中の最悪の馬鹿」って言い出した時「あ、これは真壁一騎のことだな」って思ったんでした。
17年間推している私自身が言うのもなんですが、一騎くんってファフナーの登場人物の中ではあまり頭がいい方ではないので。(下から数えた方が早そう)
根は純粋ないい子ですが、視野は広くなく思い込みも激しいです。
無印の時も「遠見が翔子みたいに自爆したがってる!」ってものすごく頓珍漢なこと考えて基本的に一騎くんに甘い真矢ちゃんですら本気で怒らせた前科があります。
EXODUSに至ってもその点あまり進歩していなくて、目の前のことに猪突猛進しようとする一騎くんを大きな総士と真矢ちゃんが二人がかりで「ステイステーイ!」って止めてくれることでなんとかなっていた印象です。
だから大きな総士がいなくなっちゃって、真矢ちゃんも一騎くん係に専念できなくなったBEYONDにおいて一騎くんの視野狭窄っぷりと思い込みの激しさが加速しちゃうのはそれまでの人物描写的に十分ありえることなんですよね。
視聴前の私の中で「馬鹿の中の最悪の馬鹿」って一騎くんが言われちゃうこと自体は想定の範囲内だったことを思い出しました。

ファフナーの登場人物の中で「愚かで欠点がいっぱいあるけど大好き」筆頭なのが一騎くんなんです。
ダメなところいっぱい挙げられるし、出会ってから17年経って私のものの考え方もだいぶ変わったのに、それでもなんでか大好きなんです。

脱線しましたが11話のマークニヒト対マークアレスの場面で何がショックだったか。
一騎くんが小さな総士くんのことをどう思っているのか、それすらもわからなくなってしまったからでした。

9話で一騎くんは小さな総士くんに言いました。
「行くな。お前が導く未来がある」って。

だから私は愚直なまでに信じていたんです。
ミールの祝福を受けて「ミールの申し子」なんて言われる人外の存在になっても。
心が消えてしまう、もう空を綺麗だと思わなくなる、と言われても。
無印の頃からプロフィールに書いてある好きなもの「美味しい食事」を必要としない体になっても。
マークアレスを生み出すために地平線を越えそうになるくらいの力を振り絞った後でも。

心身を削りに削ってボロボロになっても、「小さな総士くんこそが自分達がたどり着けなかった未来にたどり着ける希望の存在だ」と信じる気持ちだけは一騎くんの心の中に絶対に残り続けているのだと。

だから小さな総士くんが美羽ちゃんのやろうとしていることを知って止めようとした時に割って入ったことに頭が真っ白になるほどに驚いたんです。
なんで止めたのか、わからなくて。
小さな総士くんが導く未来があるって心から信じているなら、止めるだろうかって思ってしまって。
BEYONDの一騎くんはわからないことだらけだけど、そこだけはきっと揺らがないだろうと信じていた唯一すら私の勝手な思い込みだったかもしれなくってパニックを起こしたんです。

よくよく自省すると私はPVで竜宮島に立つマークザイン、マークニヒト、マークアレスの図を見て無自覚に思い込んでしまったことがもうひとつありました。
竜宮島にたどり着いた美羽ちゃんと一騎くんが「美羽がママとエメリーみたいにする」「美羽ちゃんはいなくならなくていい。俺が命を使うから美羽ちゃんと総士で未来を導いてくれ」みたいな自己犠牲合戦を始め、小さな総士くんがその不毛な言い争い自体にNOを突きつける図なのだと、無意識のうちに自分の中で物語を作り上げていたんです。
冷静に考えるとすでに他のミールに命を捧げた一騎くんはアルタイルに命を捧げたくてもミール同士の干渉でできなかった可能性は十分にあります。
これまで物語で描かれてきたロジックよりも「一騎くんならきっとこういうことを考えているはず!」という独り善がりな視点を優先し、BEYONDの物語をフラットに見ることができていなかったことを反省します。
私も相当に視野が狭くて思い込みが激しい。
なまじBEYONDがテレビ放送じゃなくて劇場先行上映をしていて9話と11話の間に1年間もあったのが余計に効いたんだと思います。
直後に「馬鹿の中の最悪の馬鹿」ってセリフがきたから「思考停止した馬鹿になっちゃった一騎くんが小さな総士くんに成敗されてる、悲しい」って思い込んじゃったんですけど違いました。

小さな総士くんは一騎くんに育てられた記憶を喪ったまま。
一騎くんは小さな総士くんのこと、どういう存在だと思っているのかよくわからなくなってしまったまま。
そんな状況でふたりが戦い始めてしまったことで、私はあの戦いをBEYONDで描かれるだろうと想像していた「子が親を超えるための儀式」には見えなくなってしまったんです。

だってあのふたり、親子関係というにはもうあまりにも関係が希薄で他人過ぎませんか。
BEYOND本編でちゃんと親子している場面、EXODUS最終回を小さな総士くん視点で見た映像がフラッシュバックした以外ないんですよ。
それであのふたりを親子だと認識して、今から強大だが旧き存在となった親を超越して未来を勝ち取るための子の戦いが始まったと高揚することが私にはできなかった。
そしてそのまま戦いは小さな総士くんの勝利という予定調和で終わってしまった。

私がずっとBEYONDで描かれることを待ち望んできた物語は始まることなく終わってしまった。
それが私がマークニヒト対マークアレスの場面を見てがっかりして、悲しくなってしまった理由でした。
メモリアルムービー、一騎くんと大きな総士の関係性は大好きだし蒼穹のファフナーの原点だけど、今描写として欲しいのは一騎くんと小さな総士くんの親子関係だよって需要と供給の不一致にポカンとしてしまった。
せめて一騎くんが誘拐される前の親子生活を回想し、今目の前にいる小さな総士くんはもう「一方的に庇護しなければならない幼子」ではなくなったことを認識できた描写を見ることができたらな、と寂しく思います。
ああいう描かれ方をされてしまうと、一騎くんにとって小さな総士くんって「大切な我が子」というより「大きな総士に面倒見ろと言われた存在」というドライなものに見えてしまってそれがつらい。
ビジネス総士ならぬビジネス一騎かいって。
BEYOND始まってからずっと「Once upon a time」の世界観で生きてきたので。
石井さんの「真壁一騎が物語から置いていかれてしまった」に強く共感したのも一騎くんの親としての物語上の役割不全に消化不良を起こしたからでした。

あともうひとつ消化不良なのはBEYOND序盤で描かれていた「一騎くんは力を使いすぎると眠りにつく」という設定がいつの間にかどこかに行ったこと。
あの設定が11話の時点でも有効なら私は考えてしまうんです。
師匠達の言葉を胸に刻み、再ザルヴァートル化したマークニヒトで全力出して一騎くんに挑んた小さな総士くんよりもなお、フロロの方が強いんじゃないかって。
一騎くん、光って消えるどころか息も切らしていないんです。
フロロとの戦いは作中2回も一騎くんに力を使い果たさせ眠りにつかせました。
腐っても鯛、欠片になってもアザゼル型ウォーカーなのかもしれません。
パンフレットにわざわざ「アキレスの出力は真壁一騎には不十分」という趣旨のことが書いてありましたから、もしかしたら一騎くんにとってアキレスで戦うって相当燃費が悪かったのかもしれません。
作中の力関係がよく飲み込めないまま小さな総士くんと美羽ちゃん無双でBEYONDは終わってしまいました。

ただ、小さな総士くんは一騎くんが憎くて戦っていた訳ではありません。
本人の主張する通りやりたいことを邪魔されたくないだけで、ならば一騎くんが介入の意思を失った時点で小さな総士くんにももう戦う理由はありません。
必要以上に相手を痛めつけないという選択はとても聡いと思います。
憎しみの連鎖を止めるためにも、そういう選択ができる聡い子が未来を担うのは大事なことだと思います。
そもそも「小さな総士くんが一騎くんを超えるということは、ただ単に武力としての力が強くなればいいだけなのか」ということは456話を見た時点で考えていたことでした。
(ふせ:https://fusetter.com/tw/kpE8S
蒼穹のファフナーTHE BEYONDが描こうとした「子の親超え」ってなんだったのか、いつか自分なりの答えを出したいです。
<追記終わり>


【大きな皆城総士】
BEYONDのテーマは大きな皆城総士を否定することだったらしいですね。
終わってみれば大きな皆城総士が作品内外に与える影響力の大きさに誰よりも依存して卒業できなかったのは制作陣だったと思います。

1章:エンディングで光の粒子となって消えていく→ああ、やっぱり大きな総士はもういないのだな
2章:「そうとは限らないぞ」→え、何、マークニヒトの中に残留思念か何かがあって小さな総士くんに乗り移ったの?
3章:「それは僕の名前だ!」→マークニヒトも生まれ変わったしやっぱりBEYONDでは総士の代替わりを描くのだな、大きな総士はいないんだな

最終章:「未来へ導いたな」

え、何、なんでもうこの世にいないはずの大きな総士が現在進行形で発生している事象を認識しているような発言をするの?
結局HAEのときのように残留思念か何かがあってずっと一騎くんとクロッシングしてたの?
でも結局その発言についてはその後特に何も触れられないまま「灯籠を流せ」ですよ。
もう制作陣が大きな総士をいるのかいないのか、どう扱いたいのか私にはわかりませんでした。
その場面場面によって都合よく利用していることだけはわかりました。

いつまでも同じことを繰り返す、セルフオマージュが大好きな制作陣に私は言いたいことがあるんですけど。
「未来へ導いたな」という台詞の後に「今度こそ本当のお別れだな」って付け加えればよかったと思いますよ。
HAEでの乙姫ちゃんと芹ちゃんのセルフオマージュとして。
そうすれば「灯籠を流せ」→「総士の言う通りにするよ」の流れにも二重の意味が生まれてスッキリしたと思うんです。
あくまで個人的な意見ですけれど。

僕が今を生きる皆城総士だ、という小さな総士くんの言う通りにすること。
今度こそ本当のお別れだ、という大きな総士の言葉への一騎くんなりのアンサーとして灯籠を流すこと。

そうであれば、灯籠が流れているのに心の区切りがつかないモヤモヤは少しは軽減されたのかなと思います。
あの場面で私がモヤモヤするのは結局一騎くんに「未来へ導いたな」って言ってる大きな総士の存在のせいなので。
そいつが「お別れだ」って言ってくれればまだ踏ん切りがついた。
でもそこが宙ぶらりんになってしまったからすごく後味が悪いです。

BEYONDがこのような終わり方をしてしまった以上、島民さん達は今後も続編やスピンオフでの大きな総士の登場を諦めきれず蒼穹のファフナーというコンテンツを支えていくことになるのでしょう。
私は、今はちょっと無理です。
ごめんなさい。



【来主操】
酷い扱いでしたね。
他の方の考察を読んでもなお、私はそう思います。

「来主操のテーマは『生ましめんかな』なので再誕することそのものに意味がある」という考察を読みました。
でも私には「それはHAEの来主操のテーマで、それによって再誕した2代目のあの子独自のテーマは何だったのだろう」と考えてしまいます。

「クロノスのSDPでコアを分離脱出させる時間を稼いだ。容子さんにとってはカノンの命を奪ったクロノスのSDPが次の子供の操の完全消滅を防いだことに意味がある」という主旨の考察も読みました。
制作陣のやりたかったことはそうなのかなと思いましたが、やっぱり完全には納得できませんでした。
エレメントって瞬間移動で逃げられるはずなので。
少なくともHAEでは操のマークニヒトにボロボロにされたマークフィアーからコアだけの甲洋が瞬間移動で逃げましたよね。

コアの脱出云々の問題に片がついたとしても、操にはさらにレガートとの描写格差という問題が残っています。
共に戦いの中で器(ファフナー)すらボロボロになって消滅したフェストゥムなのにレガートが復活できて操が復活できなかった理由はなんだったんでしょうか。
「EXODUSではミールが互いに同化しあうからアショーカを根付かせることは出来ないと言われていた竜宮島に異なるミールが根付いた進歩」という考察を読みました。
その視点がなかったので目からウロコでしたが、それってただでさえ尺が足りないBEYONDの中で2代目操の存在を消費してでも絶対に描かなければならなかったエピソードなんでしょうか。
美羽ちゃんのキラキラジェノサイドにしてもそうなんですが、制作陣ってフェストゥムの命をなんだと思っているのだろう。
操ははじめはただの強力なエネルギーリソースとしか思っていなかった美羽ちゃんのたったひとつしかない大切な命を認め、「食べようとしてごめんね」と謝罪までしたのに。

これは私見なのですが容子さんの余命ってそう長くはないと思うんです。
HAEでもEXODUSでも日本消滅戦の時の影響で体調が悪化しているので、そう遠くない未来に澄美さんと同じ運命を迎えるんじゃないでしょうか。
その、ほんのちょっとの容子さんの寿命が尽きる時まででも今の操を延命することってアルタイルにすらできなかったんでしょうか。
命はいつか終わりが来るから生命足り得るので今の操に永遠の寿命を与えろなんて言うつもりはありません。
でも今まで子供を見送る側だった容子さんが見送られる側になる希望を断ち、三度子供を喪う未来がカノンが命を使って導いた先にある未来だということが悲しいんです。

<2021/11/09追記>
操のこと、なんとか消化したくていろいろな方の考察を読んでいます。
「ボレアリスミールは武器を持つことを選んだ最初のフェストゥムで、偽島の破壊にも加担した。だから贖いのために武器を捨てた存在として新生しなければならない」という考察を見かけました。
マレスペロのこと、本人が自衛のために忘れていた過去をわざわざ思い出させてからその悲しみを癒やすことに正面から向き合わずに転生させたことを『祝福』として描いた制作陣にとって転生ってそういうものなのかもしれないと納得しました。
そしてだとすると、「2代目来主操」の存在意義について私と制作陣は一生平行線なのだと諦めることができました。

だって2代目操、死のその瞬間までコア自らファフナーに乗って戦いたがったことも偽島を破壊したことも『悪いこと』だと認識していないじゃないですか。
フロロを奪われて嘆く小さな総士くんを見て「偽物を奪われただけでしょお」と言い放ち、マークニヒトに乗って怒りを暴走させたのを見てなお「悪い子だから食べていい?」ですよ。
そんな罪の意識がない状態で死んで生まれ変わっても、私はそれが存在のリセットではあっても贖いだとは思えません。

「2代目来主操」にもBEYOND(価値観の転換)が訪れるべきだったんです。
私の足りないおつむで考えると、それはやはり「容子さんの看取り」ではないかなと思います。

操には自身が意図的に容子さんを母親に選んだ自覚があります。
これは「作り物(偽物)の家族」だと言い換えることができると思います。
でも操は操なりに容子さんを慕っていて、悲しませたくないから死にたくないとまで願いました。

アルタイルのおかげでその願いが叶って、もうお母さんを脅かす敵もいなくなって幸せに暮らせると安心して。
実際少しの間は平和に暮らせるけれど、もう子供を戦場に送り出さなくてもいい平和な世界では順当に行けば親の方が先に死にます。
容子さんには人類軍の核攻撃による後遺症があります。
人類軍の核攻撃はそもそもHAEで来主操が誕生したきっかけでもありました。
直撃による蒸散と後遺症という違いはあれど、ふたりは核の苦しみを共通の体験として分かち合える可能性があります。

「ごはん食べたーい」とねだれば出てきた食事が出なくなって。
逆に食が細っていく容子さんがなんとか食べられるものを、と慣れない料理を頑張って。
そうやって地道に看病するけれど生きている限りいつか訪れる最期の日が来て。

その時「作り物の家族でも大好きだったら喪うと悲しい」を自己の体験として内在化することによって来主操にもBEYONDが訪れるのではないでしょうか。

前の自分も、今の自分のお母さんも、人類軍の核攻撃で死ぬ。
すんなり受け入れられることだとは思いません。
怒り、悲しみ、憎しみ。
それらが人類軍への復讐心に繋がった時、操にはちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
どうして自分も加わった攻撃で偽物だけど大好きな家族を喪った小さな総士くんが今自分に復讐してこないのか。
自力で理解できなくても、竜宮島には本人がいます。
小さな総士くんは聞かれたらそりゃああんまりな質問に激怒するでしょうけど、誠実に答えてくれる子ではないかなと思います。

変わろうとせず、堂々巡りを繰り返すから終わらないのだと。

自分がHAEで一騎くんに「お前がもう一度変えろ」と言われて生まれてきた存在だったのに変われなかったこと=武装した好戦的なフェストゥムであること。
そうやって戦い続ける限り、いつまでも世界から痛みも悲しみも消えずに大好きなお母さんのような死を迎える人がいること。
それが悲しいことだと自分の生きた体験として次に生まれてくる3代目の来主操に伝えられる存在になることが、2代目来主操の存在意義でありBEYOND(価値転換)であったのではないかなぁ、と思います。
無印の乙姫ちゃんも「戦い続ける世界を悲しいと思うなら、その悲しみを伝えればいい」と言っていました。

私が二次創作ができる人間だったら私なりの2代目来主操のBEYONDをこんな散文ではなく物語として作れたのかな、と思うと無念ですが「フリー素材です」って言って置いておきます。
<追記終わり>


【遠見真矢】
ずっとずっと、前線で戦い続けた真矢ちゃん、本当にお疲れ様でした。
無印のドラマCDで言っていましたね。
「私がファフナーに乗るからお母さんもお姉ちゃんも責められずにすむんだよ」と。

BEYONDでも最後までファフナーに乗り続けていたのはいろんな意味で美羽ちゃんの為だったのかなと考えています。
美羽ちゃんは小さな総士くんが誘拐された時に肉薄しながらもマリス達が乗ったロケットを撃てなかった。
それ自体は今まで非戦闘員だった子供がいきなり有人機を撃つなんて無理なので何も悪くないんですけど、その後ベノンが誕生したことについて誰も何も言わなかったとは思えません。
御門、水鏡両家の親は我が子に早くパイロットを引退させたがっていましたし。
その状態でいくら年齢的な問題があるとはいえ真矢ちゃんの方が先に引退したらどうなるか少し考えただけで胃が痛くなります。

あと6話で美羽ちゃんを食べようとした操を悲痛な声で止めたように、本心では美羽ちゃんを犠牲にすることを受け入れられていませんでしたよね。
でも状況が状況だから無印の頃のように声を大にして主張することができなかったんですよね。
今なら誘拐された小さな総士くんを迎えに行った時に真矢ちゃんがあんなに辛辣だった理由がわかる気がするんです。
小さな総士くんだけが、美羽ちゃんを犠牲にしなくても済むかもしれない未来の希望だったから。
そんな小さな総士くんが(本人視点では至極当然とは言え)自分達を拒むことは真矢ちゃんにとっては地獄の蜘蛛の糸が千切れるかもしれない瀬戸際だったのかなと思います。
それにしたって発砲はやりすぎ……と思っていたのですがあれも「私から美羽を奪わないで!」というHAE弓子さんのセルフオマージュだったのかもしれませんね。しらんけど。

真矢ちゃんが美羽ちゃんを喪うこともなく、なんの柵もなくファフナーを降りられる未来が来た。
それが今のところ私にとって最大の救いです。



【春日井甲洋】
甲洋が旅に出たらショコラはどこで暮らすのかに対して「ショコラは死ぬ」というアンサーが出てきたこと、いろんな意味で涙が出ました。
でも里親がとんでもなかったせいで同年代の誰よりも先に自己犠牲を植え付けられた甲洋が生き延びて、騙されるのが怖いと片想いしている翔子すら拒む凍った心の海に閉じ籠もっていた甲洋が他者(一騎)と共に生きることを許容できたのはよかったです。
人間性が回復していなかった頃から繰り返していた「みんなを守る」「島を守る」から解放されてより人らしくなったようにも見えました。
甲洋に関しては人間関係を広げすぎなかったことで消化不良感があまりないのかもしれない。



【立上芹】
敵に同化されたファフナーが海へ落ちていく→海から何かが来る→いなくなってしまった戦士の復活、という甲洋復活のセルフオマージュで出てきた芹ちゃんですが、「甲洋はその、最初のトリガーである海に落ちたファフナーをパイロットごと助けるんだよ~!」と思うと「心強い味方が帰ってきた!」と喜ぶにはあまりに肩透かしな演出でした。
待望の復活シーンを雑セルフオマージュで浪費するな、もっと気合の入った、芹ちゃんオリジナルの復活シーンを見せてよ、と思いました。
あの場面でボートを掴んでいたリヴァイアサン型も「芹ちゃんといえばリヴァイアサン型だよね」みたいな雑な理由で出てきて倒されたなぁ……
「エレメントでもない人間が!」というケイオスの謎age発言もモヤモヤします。
エレメントって何だったんでしょうか……
でも輝夜朔夜が明るい子に育ったのは芹ちゃんという人の心を持った絶対的な庇護者がいたからだと思います。
芹ちゃん自身は何も悪くないですし功労者の一人であることは間違いないので、本当に演出どうにかならなかったのかな、と無念です。



【堂馬広登・西尾暉】
一項目にまとめちゃってごめんなさい。
私、蒼穹のファフナーTHE BEYOND最終章が公開されるまで、ずっと「広登や暉が今生きて島にいてくれたらなぁ」と思っていたんです。
いなくてよかった。
「美羽ちゃんを犠牲にすることは仕方がないんだ」って言うふたり、絶対見たくない。
剣司ですらショックでショックでどうしようもないのに。
というか、いちゃいけなかったんですよね。マリスの相談窓口ができてしまってBEYONDが始まらないかもしれないから。
特に同化現象の末期症状で島に帰ってきた暉がゼロファフナーに乗る(乗せられる)流れすごく違和感があったのですが、つくづく脚本の都合で命を消費させられたのだなと思いました。



【ヘスター・ギャロップ】
最終章に一コマたりとも出てきていなかったのに、終わってみれば一番の勝者はこの人だったのかもしれない。
どんな手を使ってでも地球上からフェストゥムを一掃するという悲願も成就しましたし、身内人事とはいえアレクサンドラという後継者も育成しています。
「簡単に人が育てば苦労はしねーよ」と言っていたアルヴィスよりも新国連の方が自己変革能力、自浄能力がありそうに見えてしまうのがビックリです。
いや、新国連のあり方が改善されていくのはすごくいいのですが、BEYONDでここまでアルヴィスをダメダメに描かれてしまうと執拗に核でぶっ潰そうとしてきたヘスターの判断の方が正常だったんじゃ…みたいな気持ちになるので複雑です。
でもほら、北極決戦はアルヴィスがいなかったら人類は負けていたから…と思ったのですがアルヴィスがマークフィアー作ってお釈迦にしたり、人工子宮で子孫を作ったりしなければマークニヒトは起動すらしていなかったのですよね。
まさか無印の時点にまで立ち返って「アルヴィスって存在していてよかったんだろうか…」という疑問が湧いてくる展開を蒼穹のファフナー最終章としてお出しされるとは夢にも思っていませんでした。


しょせん私達は実験台だったのよ。次の世代を真の子孫にするためのね。

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