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【無名人インタビュー】精神障害者で、子供を普通に育てた人

「無名人インタビュー」マガジンで過去インタビューも読めますよ!

今回ご参加いただいたのは 秋桜久(しおひさ) さんです!
note

▷イントロ

インタビュー参加のお申し込みの際、インタビューで話したいこととして「精神障害者で、子供を普通に育てたこと。」
と記入していらっしゃいました。
ご苦労なさったお話が大半かと思いきや・・・
内容をお楽しみください! 

1.精神障害者 兼 ピア・カウンセラー

有島:今回、「無名人インタビュー」にご応募いただいたきっかけというのは、どういったことでしょうか?

秋桜久:noteの記事に「いいね」が付いて、「無名人インタビュー」ってなんだろうと思って、そのページへ飛んだんですよ。それで読んでみたらインタビューっていうのがあったから、私が今までやってきたことを話したいなと思って申し込みさせていただきました。

有島:ありがとうございます。今日はお話しになりたいことがあるということですが、まずは秋桜久さんが今、何をしていらっしゃる方かというところから、お聞きしてもよろしいですか?

秋桜久:私はほとんど家にいて、母として娘と旦那といて。日曜日に週に一回だけピア・カウンセラー​​として、精神障害者の近くにいて1時間ほどカウンセラーをしてるっていう感じです。

有島:お話を直接聞いていらっしゃるということなんですね。
そのカウンセラーのお話をお伺いできますか?

秋桜久:守秘義務があるので内容はあまり出せないですけど、週に一回、学生さんとか利用者さんとかと話しています。

有島:どういうきっかけで始められたんでしょう。

秋桜久:最初に誘われたときは仕事もしていたし、まだ忙しかったんで断ったんです。2回目のときに、やっぱりお役に立てればっていうことで、ボランティアでさせてもらってます。

有島:どれくらいになりますか。

秋桜久:13年ぐらいかな。ときどき私が調子悪くて休んだりしますけど、いろいろな人と話してきています。

有島:長くやってらっしゃるんですね。ご自身の中で、カウンセラーの経験が役立っているといったことはありますか?

秋桜久:やっぱり前向きなことを相手に話すので、それが自分の耳にも聞こえているから、自分自身もすごく前向きになれるんですよ。それと、相手の方が私のために会いに来てくれたっていうことで、すごくうれしくなります

有島:なるほど! 

秋桜久:私、もともと地活(ちかつ:地域活動支援センター​​)の利用者だったんですが、スタッフさんから誘われたんです。私が利用していたときは、まだピアカウンセラーというのはなくて。ただ居場所としてあったという感じですね。

有島:その中で誘われたんですか?

秋桜久:居場所的な感じでみんなでワイワイしていた中で、カウンセラーに誘われたっていう感じです。

有島:その居場所では、どんな活動が行われているんでしょう。

秋桜久:コロナの前は、精神障害者の人が外食会へ行ったり、プチ旅行したり、外出レク(外出レクリエーション)したり、月に一回「トーキング」といって、議題を出してお話し合いをしたり。定例会といって、報告を受けたりとか、そういうのもやっていました。今はコロナ禍で、ほとんど食事と相談だけが中心になってます。

有島:以前は活発に活動しておられたのが、コロナ禍で変わっているんですね。

秋桜久:コロナ前、私は利用者として参加しながら相談を受けていたのですが、今は相談を受けるだけになってしまいました。

有島:利用者としての参加は、かなり長いのですか?

秋桜久:15年ぐらい前からなのかな。

2.子どもの育て方って、健常者も精神障害者も変わらない

有島:今回、お話になりたいことは、カウンセラーとしてのことではないのですね?

秋桜久:精神障害者ですけれども、娘を普通の子として育てたことについてお話したいと思ってたんです。

有島:お嬢さんはおいくつなんですか。

秋桜久:26歳です。

有島:すっかり大人になられているんですね。お嬢さんを育てるというところでご苦労されたことは?

秋桜久:(娘が生まれて)9ヶ月のときに、私が病気を発症したんです。その病気が原因で元旦那と離婚して、そのときは元旦那のもとに娘がいたんで、離婚裁判までして娘を取り返したんです。

有島:そうだったんですか。

秋桜久:娘が幼稚園のころは、私は働いていたから、送り迎えを母がしてくれたりしていました。その後、娘が小学校2年生のときに、今の旦那と再婚したんです。私の精神障害と子どものことを了解してもらって。

有島:旦那さまは、全部受け止めてくださる方なんですね。

秋桜久:そうそうそう。
娘は小学生になると、私は精神障害なので、家族の心理教育として娘にカウンセリングを受けてもらったんですよ。それが中学生まで続いたんですね。今思えば、それも娘の支えになっていたんではないかと思います。

有島:カウンセリングについてお嬢さんは何か仰っていましたか?

秋桜久:娘が受けたカウンセリングについては、本人が「遊んだ」と言うだけで、何も聞いてないし何も話さなかったですね。

有島:そうですか。

秋桜久:娘の成長は、楽しかったしうれしかったです。参観日や運動会は、すべて行きました。運動会は高校まで、文化祭は専門学校まで、娘が嫌だと言うまで見学に行っていました。

有島:嫌だと仰るまで? 

秋桜久:結局、最後まで言わなかったんですよ。

有島:へえー。

秋桜久:娘が中学生のときに、私がリュウマチで脊椎関節炎という難病を罹って、体を壊して入退院を繰り返していたから、なかなか娘の話を聞いてあげてなかったんじゃないかなと。反抗したくても反抗できなかったから、反抗期がなかったのかもしれないです。

有島:なるほど。

秋桜久:娘が高校のときに私が足を骨折したから、娘には迷惑をかけっぱなしだと思います。でも、娘は素直でいい子に育ってくれました。今は、介護福祉士の試験にも合格して。介護士の仕事をして、旦那とともに家計を支えてくれています。

有島:介護のお仕事に就かれた。

秋桜久:娘は不規則なシフトなのに、私たちの健康を考えて、晩ごはんを毎日作ってくれて。去年と今年は、お節料理を作ってくれました。とてもいい子に育っていることに、感謝しています。

有島:自慢のお嬢さんなのですね。

秋桜久:いつも娘が私に言うのは「母親としては10点満点」だって。今日も言ってました。娘はあまりによくできすぎて、負担になっていないか心配になることもありますけど。
健常者だからできる、障害者だからできないっていうことはありますけど、子どもの育て方って、健常者も精神障害者も変わらないと思う

有島:なるほど。

秋桜久:これからも、人生いろいろあると思うけど、最後、これで良かったと思われる人生にしたいです。私としては、言いたいことは「障害者=不幸」ではないと思ってる。障害者であっても、自分らしく幸せに暮らしている人もいるんだっていうことを知ってほしいです

3.幼少期から学生時代まで

有島:ご自身のお子さんのころは、どんな子どもでしたか? 

秋桜久:けっこう親が厳しくて。何かあると叩かれたりしてたんです。

有島:具体的にどんなことがあったか、覚えていらっしゃいます? 

秋桜久:私が覚えてるのは、布団叩きで叩かれて。なんで布団叩きを使うのかというと、手で叩くと(親の手が)痛いからって。

有島:それは、小さいころからだったんですか。

秋桜久:学校の授業でも、親の言うことを聞かないと。うちは、学校の先生よりも親のほうが偉いんですよ。そんな感じでした。

有島:なるほど。

秋桜久:家にも学校にも居場所がないって感じ。
だから、娘にはそんなことはしないってずっと思ってたんですよ。

有島:学校のお友達はいらっしゃったんですか? 

秋桜久:いたんですけど、6年生の10月に引っ越して、そこから友達がなかなかできなくて。

有島:卒業まで半年ぐらいですよね。

秋桜久:そうなんです。友達ができないまま中学校へ行って、けっこういじめに遭って・・・中学は、同じ小学校からの子が多いし。
高校になってから友達ができるようになってって感じで。

有島:高校へ行くと、中学で一緒だった方々とは離れられた? 

秋桜久:それに、引っ越す前の小学校の友達が、偶然に同じ高校に入ってきたんですよ。それが良かったです。

有島:高校からは、また楽しくお友達と関わることができるようになったんですね。

秋桜久:はい。クラブも、けっこう仲良かったですね。3時間目に早弁して、昼休み中に練習して。夜にはまた練習してっていう感じでした。

有島:部活は何をなさっていたんですか?  

秋桜久:剣道部です。朝も練習して。

有島:朝、昼、晩と練習。じゃあ、高校は部活一色っていう感じですかね。 

秋桜久:でも、教室の友達とは映画を見に行ったり、買い物行ったりしてましたよ。
映画は好きだったかな、無料券をもらって行ったり。

有島:どんな映画をご覧になりましたか。

秋桜久:何を見に行ったんだろう・・・「ウォー・ゲーム」とか。
音楽はなかなか。親が9時以降はテレビ見ちゃいけないって言ってたし。

有島:そういう意味でも厳しい親御さんだったんですね。

秋桜久:それで、クラブでは(みんなが)「かわいそうだ」って言って、音楽を入れたカセットテープをくれて「これ、聞いてみて」っていう感じで教えてくれたり。
友達がYMOのコンサートを誘ってくれたんだけど、そのときは価値がわからなかったから行かなかったんですよ、私。

有島:YMOの解散コンサート? 

秋桜久:解散コンサートっていったら、行けば良かったなって今は思ってるけど。

有島:他に好きな音楽はありました? 

秋桜久:ユーミンとかサザンとか。

有島:ユーミンは、どんな曲が好きですか? 

秋桜久:覚えてるのは「卒業写真」とか「ひこうき雲」とかですね。

有島:サザンはどんな曲が? 

秋桜久:「勝手にシンドバッド」。

有島:うんうん。
今の音楽はどうですか?

秋桜久:あいみょんが好きですよ。「裸の心」とか『コントがはじまる』(ドラマ)の主題歌(「愛を知るまでは」)を歌ってたのも好きだったけど。

4.うちの家族の中には「精神障害者」がない

秋桜久:高校のあと、私は准看護師の学校へ行きました。働きながら准看護師の免許を取って、正看護師の免許も取りました。

有島:働きながらというのは、大変だったんじゃないですか? 

秋桜久:でも、正看護師の免許を取ったときは働かないで看護短大へ通って。

有島:通学に専念されたんですね。
そのあとは、正看護師さんとしてお勤めに? 

秋桜久:勤めたんですが、結婚して辞めました。

有島:それからお嬢さんが生まれたんですね。

秋桜久:3〜4年は子どもができなかったんですけど、諦めたころにできて。それまでは順風満帆で、仲のいい夫婦だったんですけどね。子どもが生まれてから病気になるまでは順調だったんだけど。

有島:そうなんですね。病名を伺ってもよろしいですか? 

秋桜久:「統合失調症」です。治療を受けて、もう26年間ずっと、薬を飲みながら安定してるっていう感じかな。ときどき調子悪くなったり良くなったりっていうのがあります。

有島:安定しているっていうことは、ご自身で管理できていらっしゃるのでしょうか。

秋桜久:大体管理してますね。気をつけてるのは、薬を飲む時刻を毎日同じにするっていう。リズムを崩さないこと。
起きる時間や食事や薬を飲む時というような、生活のリズムを崩さないことですね。そのリズムを崩したら、調子が少しずれてしまうから。

有島:毎日の生活のリズムが大事なんですかね。

秋桜久:そんな気がします。

有島:もう長く、それを続けて。

秋桜久:旦那が、「認知行動療法」で私に自分でさせるようにしてるんです。何でも(家族が)やってあげてしまうと、できることもできなくなるから、まずはやらせてみるって。

有島:なるほど。

秋桜久:一般はこうなんだよってずっと植えつけて、それで常識っていうのを。普通の人として暮らせるように、19年間かけて築き上げたっていう感じです。

有島:旦那さま、すごいですね。

秋桜久:厳しくて、すごく怒られたりしたこともあったけど。

有島:そうなんですか。

秋桜久:今はあんまり怒らないけど。

有島:それは、秋桜久さんが今はリズムのある生活をできていらっしゃるからですよね。ご家族で協力して進んでいる? 

秋桜久:そんな感じです。

有島:なるほど。
この「無名人インタビュー」に応募してくださったときに、精神障害者でもお子さんをきちんと育てられるっていうことを話したいっていうことだったんですけど。
再婚なさるまでのご苦労はあったと思うんですけど、今は秋桜久さんが、とても安定してお幸せそうに感じます。

秋桜久:幸せですよ。

有島:途中から旦那さまとかお嬢さんのお話になったときに、雰囲気が変わって。声からも感じます。

秋桜久:だから、なんていうか。うちの家族の中には「精神障害者」がないんですよ。旦那としては「妻」がたまたま病気になったっていう感じ。娘にしても「お母さん」がたまたま病気を持ってるって感じ。

有島:なるほど。

5.スピード婚

有島:今の旦那さまと知り合ったのは、どういったきっかけだったんですか? 

秋桜久:当時流行ったポストペットっていうのがあって。あれで、友達を募集したんですよ。他の人もいたんだけど、旦那もいたんです。

有島:へえー。

秋桜久:偶然、2人とも兵庫県っていうことで。それは知り合ってから1年半後に知ったんです。

有島:大分経ってからわかったんですね。

秋桜久:それで、何年か経ってから会おうかっていう話になって、会うことにしたんですよ。そこからは、すごくスピード婚でしたね。

有島:初めてお会いになってからどれくらいで? 

秋桜久:8月に会って、(翌年)1月には親に挨拶してたから。

有島:本当にスピード婚ですね。

秋桜久:会うまでが長かったけど。

有島:旦那さまとお嬢さんが会ったのは? 

秋桜久:プロポーズされたから、そうなったら娘を会わせなければいけないっていう話になって。

有島:はいはい。

秋桜久:(私の)お友達っていう感じで会わせてみて、相性はどうかっていうことを見ないといけないから。

有島:そうですね。

秋桜久:娘を受け入れてくれないと、これはダメだっていうことになるから。
会わせてみたら仲良さそうだったし、これは行けるかなって思って。

有島:良かったですね。

秋桜久:でも、最初は娘に「なんで友達がお父さんになるの?」って言われたけど。

有島:そっか、確かに。お嬢さんは小学生ですか? 

秋桜久:1年生か2年生ぐらいのとき。

有島:本当に素直な意見ですよね。「お友達がお父さん?」っていう。

秋桜久:そう。でも「お父さんができてうれしい」って言ってたけど。

有島:良かったですね。旦那さまとお嬢さんの相性が良くて、秋桜久さんとはスピード婚したぐらいですから。

秋桜久:何が良かったのかなって、今でも教えてくれないんだけど。

有島:照れくさいんじゃないですか? 

秋桜久:ね。

有島:ご縁があったんですかね。

秋桜久:旦那が、(私が)「頑張ってるから」って言ってました。頑張ってるのは応援したくなるって。

有島:旦那さまは、知り合ってから秋桜久さんの病気のことも、さっき仰っていた「認知行動療法」のことも勉強してくださって。

秋桜久:そうですね。とにかくブレない。

有島:ブレない? 

秋桜久:全然ブレない人なんですよ。

有島:今の旦那さまとの出会いの前が、大変だったんでしょうか。

秋桜久:「統合失調症」の確定診断がわからなかったし、病院行ったり行かなかったりしてたし。どうしてしんどいのかなっていうのがわからなかった。

有島:病名がはっきりしないと、対処とか治療もわからないですよね。
お嬢さんを引き取ったのは? 

秋桜久:5歳ぐらいのときかな。

有島:けっこう時間がかかったんですね。

秋桜久:離婚裁判も1年半ぐらいかな。

有島:お嬢さんを引き取ってからは、今の生活につながってきたという感じですか?

秋桜久:そうですね。

有島:ここまでお話を伺ってきて。実は、最初、ものすごくご苦労なさったお話なのかなというイメージだったんですけど、ちょっと違う雰囲気になってるんです。

秋桜久:あ。(笑)
私、どのチャンネルにどんな番組があるって、あんまり覚えてないから。旦那が全部把握して、何曜日にはこれがあるっていうのを全部。

有島:へえー。

秋桜久:全部チョイスして。このドラマ見たいって言ったら全部録画してくれて。

有島:優しいですね。

秋桜久:ものすごく優しい。私の足となり手となり動いてくれる。

有島:今の言葉のときの秋桜久さんの声が、とってもお幸せそう! 

秋桜久:私がここへ行きたいって言ったら、旦那が車で連れて行ってくれるんです。
今日も、娘も言ってたよ。「お母さん、もっと甘えてくれたらいいのに」って言って。「行きたいところ、私がいっぱい連れて行ってあげるのに」って。

有島:へえー。

秋桜久:そんなこと言ってくれるの。

有島:旦那さまもお嬢さんも、そんな風に言ってくれるご家族って、本当にお幸せですね。

6.金婚式まで

有島:これから、秋桜久さんがご家族と暮らしていく中で、例えば5年後にこうなっていたいなとか、10年後はこんな感じがいいかなとか。将来、もっと先に、こんな生活になっていたらいいなっていうことはありますか? 

秋桜久:あー。やっぱりいい老人にもなりたいし、楽しく3人で暮らしていきたいっていうのもあるし。
娘が結婚するなら結婚するでいいし。あの子は今、結婚しないって言ってるからどうなるかわからないし。もうちょっと娘の負担も減らしてあげたいしっていうのもあるし。

有島:なるほど。

秋桜久:銀婚式、金婚式までいけるかなーって考えてるんですけど。そこまで長生きできたらいいなとは思ってるけど。

有島:金婚式だと、何歳ぐらいですか?

秋桜久:銀婚式はあと6年なんですよ。だから金婚式は85歳ぐらいになるかな。

有島:今の85歳の方ってまだまだお元気ですから。

秋桜久:まあね。

有島:ご夫婦とお嬢さんと。楽しみですね。

秋桜久:それは楽しみです。

有島:旦那さまが退職なさったあとも。

秋桜久:私は、旦那が家にいてほしい人なんですよ。

有島:ずっと一緒にいたい?

秋桜久:そんな感じなんです。(旦那が)休みだと、私はもう両手をあげて喜んでます。

有島:旦那さまがお休みの日は、何を。

秋桜久:出かけるときもあるし、一緒にビデオ見たりするときもあるし、いろいろですね。ショッピングモールへ行ったり。
今日もお昼から、近くのショッピングモールへ行こうかって言ってるんだけど。

有島:ご家族で一緒に?

秋桜久:今日は旦那が仕事だから2人で。今日も楽しみ。

有島:「楽しく」って意識しなくても、いつも楽しい感じですか?

秋桜久:そんな感じですね。

有島:私、この60分の中で、ほとんどお惚気を聞いているような気がしてきたんですけど。(笑)

秋桜久:申し訳ないです。(笑)

有島:いえいえ、すごく楽しいです。
ご自身がいつか大往生なさるときに、どんな気持ちでいたいっていうのはありますか?

秋桜久:みんなに見守られて、安らかに眠るように死にたい。

有島:なるほど。

秋桜久:とにかく、このコロナ禍では死にたくないと思ってるんですよ、私。

有島:じゃあ、コロナ禍が終わったらやりたいことはありますか? 

秋桜久:あちこち出かけたいと思ってます。今、電動車椅子を申請してるから、「公費が通ったら、あっちこっち行けるね」って、今、娘と言ってるんですよ。

有島:行動範囲が広がりますよね。

秋桜久:そうなんです。

有島:まだまだこれからが楽しみですね。

秋桜久:楽しみです! 

7.ブレない親で

有島:今回のインタビューで、これだけは伝えたいっていうことはありますか? 
子育てでのご自身のポリシーみたいなものとか。

秋桜久:子どもの目線に立って、子どもの気持ちを受け入れてあげるのも必要だし。
ブレないっていうのかな。今まで「良い」って言っていたことを「悪い」とか。今言っていたことと違うじゃないかっていうのをやると子どもが迷うから、そういうことはしないほうがいいと思う

有島:そうですね。

秋桜久:親は、精神障害者も健常者も変わらない

有島:ありがとうございます。
ちょっと想像つかないかもしれないんですけど。もしも秋桜久さんがご病気になってなかったら、どうなっていたと思いますか? 

秋桜久:あー。病気になってなかったら、旦那と出会ってなかったかもしれないし。それはわかんない。だから、今のようになったのは全部運命で、こうなるようになってたんだって思ってる。今は幸せです。

有島:なるほど。
今日は、本当に素敵なお話をありがとうございました。

▷アウトロ

記事のタイトルの理由、伝わりましたか? 
インタビューしながら、私まで幸せな気持ちになりました。

実は、インタビューは7月上旬に行ったのですが、私の都合で記事公開が大幅に遅れてしまいました。
本当に申し訳なかったです。

さて、次はどんな方のお話でしょうか。
次回もお楽しみに。

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