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きょうの日記:徒然ということはげんき

会社の近くに手彫りのハンコやさんがある。
この時代、ハンコは極力使わないようになってきているけれど、文化としてのハンコはとても貴重なもので、まもるべきものだと思っている。

帰り道、小さなハンコやさんで、背中を丸めてハンコを彫っている店主の姿を見た。
とてもかっこいいと思った。

この世の中には、時間・エネルギー・金銭的な効率を考えたらやめるべきことがたくさんある。だけど、効率悪いものこそカッコよかったり、愛おしかったり、実は大切だったりする。店主の背中は、どんな世の中になってもかっこいいものであるべきだと思った。

その後、セブンイレブンのATMに寄った。
いつも同じキーしか使わないが、いつもと違うキーを押した。セブンのATMのテンキーは、ランダムか何かで音が鳴る。
これで即興ソングが作れそうだと思った。

駅まで向かう間に、別のことを思い出した。
ここに書けることではないけれど、覚えておきたいことだったからメモをした。

ところで最近、流行病の軽めの後遺症として咳がぴたりと止まらない。
だから、かなり久々のマスク生活をしている。
マスクをつけなくてもいいよ、という空気になる前に、花粉症が終わった瞬間マスクを外した人類なので、本当に久々だ。

家の最寄り駅から家まで歩いている途中に、面白いことを思い出してニヤニヤしてしまった。
そうだ、マスクをしているからニヤニヤしてもいいのだ。

小さな声で歌を口ずさんだり、何かを話したり、あくびをしたり、ニヤニヤしたりしてもいいのだ。

認知が視覚優位のため、人と話すときに相手の口元が見えないと話があまり入ってこないことがある。だからマスクの生活は結構しんどい。
だけど、マスクにだっていいことがあったな、と思った。

そういう、いろいろなことが頭にぽんぽんと思い浮かんでくる日だった。
頭に何かがぽんぽんと思い浮かんでいくのはいいことだ。
元気だという証拠だ。

流行病から完全には抜け出さないうちに個展を迎え、疲弊したまま仕事を再開した身としては、頭に何かが浮かんでくるその現象自体が嬉しかった。

徒然ということは、げんきだということだ。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。