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幼い頃から文字が友だちだった

おそらく小学校2年生の単元に「説明書を書く」というものがある。
学年に自信がないので学習指導要領をチラリと見たが、おそらく2年生じゃない。というか同じ単元がない。
ちょっといつだったかはもう覚えていないのだが、とにかく説明書を自分で書くという単元があった。

そんな単元にまつわることを、この前ふと思い出した。

ぼくは当時から文章を書くのが得意だったのだが、この単元はなかなか筆が進まなかったのを覚えている。

たしか、教科書の「お手本」は「一輪車の乗り方」だったと思う。
ぼくも説明できるぞ!と思えることは、一輪車の乗り方くらいだった。
(てことはもうぼくは少し大きかったか…)
困った。説明できることがない。

この気持ちもよく覚えているのだが、物体に残ること、物体で表現できることで得意なことがなかった。運動神経が悪いのでスポーツは何もできない。ちょっと字はきれいだけれど、習字は習っていなかったのでものすごくきれいなわけでもない。手が不器用なので絵も描けない、工作もできない、手の力がない。得意なことは、文章を書くこと、グループを率いることと、人前で話すことだった。
得意なことの強みは、学年・校種が上がれば上がるほど役に立つし、かなり貴重な能力だということに気づくのだが、形に残らない「特技」は小学生には辛い。

そんなぼくが選んだ「説明書」の題材は「歌詞の覚え方」だった。
曲は、中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」だったと思う。

その頃から、文字や言葉に対して距離を測っていたように感じる。
小学生が選ぶ題材にしては、あまりにもメタすぎやしないか。
珍しく枚数が稼げ、内容も納得がいかなかったのを覚えている。
たしか、途中で必ず図解をしなければならなかったのだが、それをどう乗り越えたのかは覚えていない。

それから、先生になんと言われたのかも覚えていない。

ぼくが覚えているのは、書きたいことがないこと、いつもなら息を吸うようにできる作文ができなかったこと、図解できる得意なことがないこと、それらに対して悔しいというか、なんとも言えない気持ちになったこと、ただそれだけだった。

本当に歌詞の覚え方にしたのかどうか、だんだん自信がなくなってきたが、ここまで鮮明に覚えているのだから多分そうなのだろう。

学校のことがずっと嫌いだった。苦手だった。嫌なことばかりを覚えている。
そのうちの一つが、急にリアルな質感を伴って蘇ってきた。

大人はいい。
好きな文章だけ書いていいから。
小学校の時のぼくへ
くれぐれも元気に、安全に、無事に生きるんだぞ。

大人は、いいからな。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。