嵐がYouTube配信を始めて悔しかったこと

かっこいい〜〜〜〜〜〜あ〜〜〜〜〜スキ
あとコメント欄が思いの外あたたかく(マジで表層でしかないと思うんだけどね!)、着々とファンを増やしてるのは純粋にすごいな、と思います。しかし、この試みが始まった時、私は単純に「あ、やられた」と思いました。嵐がかっこいいこと、ビジネスとして成功していることは大前提として、これをやられてしまった我々という時代について、考えてみたいと思います。

ジャニーズが守ってきたもの?

ジャニーズ事務所が頑なにネットに画像、動画を上げてこなかったのは、時代に逆らっているように見えて、実は一番古典的な「見たけりゃ金を払え」というある程度商業化されたエンタメの最低要素を守ってきたからだと思っています。いや、多分そうじゃないんだけど、少なくともそう見えました。時代の流れには逆らえず、雑誌の表紙の解禁、写真の解禁、エイベックス所属グループのPV利用、ジュニアのチャンネルなど、ネットとともに歩くようになりました。この時点でもうすでに我々という時代は「楽しむためにお金を払う」という感覚が薄れてきたのだと思います。

少し話は逸れますが、ネットで見られるっていうのは本当に無料なのか、というと少し違うと思います。例えば広告収入がついている動画の場合、広告を見る「時間」を払って動画を見ていることになります。それに見るための機器(パソコンとかスマホとか)や通信料もバカにはなりません。でも、前者は例えば時給1000円換算すると、15秒の広告がついている動画は4円くらいで見られることになります。後者は、コンテンツ自体にお金を払っているわけではない。よって、ここではネット無料コンテンツのことを「無料」と表現します。

解き放たれた嵐のフルMV

そんな中、嵐のMVがフルで5曲もこの世に解き放たれました。
確かに、活動休止中のバンドやグループのファンになることってよくあるんですね。ELLEGARDENとかね!
そこにフルで見られるコンテンツがあることってすごく大事だし、活動休止中も着々とお金を生み出すことができると思うと、まあ強いツールだな、とは思います。

でもちょっと冷静になって考えれば、活動休止中だってプレスをやめなければ円盤は売れるわけです。
それでも映像非課金フル公開に至ったというのは、我々という世代(さっきから言ってるけどこれは若い人という意味ではなく、今生きてる全ての人間ことを言っている)からはデジタルコンテンツの方がお金を取れると判断されたということになります。私は個人的に「あ、なめられたついに」と思いました。
時代は変わったのです。本当に。

しかし私は一抹の不安を感じます。

そもそもMVが無料()でフルで見られることが不思議

上述したように、ジャニーズは「見たけりゃ金を払え」というクソほど当たり前の理論を頑なに守り通してきた会社です。MVをPVとして使わなくても利益が見込まれるほど市場がでかい、というのももちろんあると思います。だけど、MVとして作られたのであれば、それを見るためだけにお金を払わなくていいのはやっぱりちょっと不思議ではないでしょうか?

例えば売れないバンドが超気合いいれて作ったMVをプロモーションとして使うのは必要なことだし有効だと思います。

たかが5曲されど5曲を、ジャニーズ哲学を切り崩してまで公開することによって、我々という世代の中での「映像作品」の価値が下がるのではないかと、不安に思ってしまいます。見られて当たり前、そんなものはこの世に本当は存在しない。

まっ、私は時空を操る「ライブエンタメ」が好きなので、こういう流れで相対的に我々の産業が盛り上がればいいんですけどね!と、思ったのですが、いや、実はそうでもないらしいのです。

じゃあ我々世代は何にお金を払っているのか?

かつてLINEミュージックが無料お試し期間を止めた時に「何で課金にするのか」と理不尽に叩かれたことがあります。「MusicFMを取り締まる軽音サークルの人」がネタとして扱われたことがあります。
わかったわかった、デジタルコンテンツとか、形になるものにお金を払うのが苦手な世代なんだね。

じゃあ、どうして地方のライブハウスが潰れなければならないの?

近いうちに、思入れのある地方のライブハウスが2軒、潰れます。
一つは行ったことすらないけど大事な存在で、もう一つは第二の家みたいな存在のライブハウス。
演劇業界も不況、ライブハウスも不況、生のエンタメにもお金を使っていない。

じゃあ我々世代は一体何にお金を使っているのだろうか?

一つに、我々世代の若者は金がない、というのはある思います。正確にいうと、若者がエンタメや芸術を享受することの価値が理解されておらず、上の世代が負担してくれていないという事実があると思います。

そしてもう一つの流れは「フェス」です。
みんな大好きだよね、フェス。
SNSやインターネットの発達で、隣の人との距離が近いようで遠い現代。
たくさんの人数で、現実で、同じ空気の中で、「共有」できることにお金を払うようになってきました。

でもそれって本当に共有している?
それって本当に現実?
その人って本当に隣にいる?
それって本当に仲間?頑張れって涙を流して怒れる相手?

時代が変わることは当たり前のことで、それをどうこうしようとか、戻そうとか、もっとよくしようか、とかそういうことを言いたいわけではありません。時代は変わっている、だけどもっと面白いことはたくさんあるし、いろんな種類のエンタメを少ないお金で楽しめるようになっていることは確かで、それが必ずしもいつも正しいわけではない、ということを忘れたくないな、とこの一連の動きを見て思うのでした。

創るということには、お金も、体力も、愛も、たくさん必要なんだよ。


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