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ライブハウスの兄さんや姐さんが、ぼくに表現を諦めさせなかった

サラリーマンになるのだ、と悟ったときに
「じゃあ表現することをやめるのかどうか」という二択については全く考えなかった。続けたければ続けるだろうし、続けられなかったらやめちゃうんだろうな、となんとなく考えていた。

気づいたら「やめられない」の方にいて、
こうやってnoteを書いたり掌編を紡いだり、個展を開いたり、即売会に出たりしている。やっぱり、やめられないタイプだったのだ。

大学を卒業して社会人になるタイミングで「やめるかやめないか」という二択に迫られて苦しんでいる人をよく見るし、そういう話を聞く。
ぼくは、そういう二択に苦しんだことがない。

なぜなら、働きながらでも自分がしたい表現を追求することはできるということを、高校生の時から知っていたから。

ぼくは、埼玉県にある「北浦和KYARA」というライブハウスに育てられた。
毎週のように通って、たくさんの種類の「大人」を目にしてきた。
仕事をしながらバンドを楽しむ人、バンドで自分を実現したいけれど、食うために仕事を続けている人、好きなバンドを見るために仕事を頑張る人、仕事はしないでバンドとバイトをやっている人、何をしているのかよくわからない人・・・・

とても贅沢なのだけれど、16歳という多感な時期に「人生には信じられないくらい選択肢があるのだ」ということを体感させてもらった。
だから表現をするのか、やめるのかの二択を考えることがなかったのだと思う。この世には選択肢が無限にあることを、大人が背中で教えてくれた。

こういうことが続けられているのは、創作活動に理解のある職場に出会えたことや、望んだ環境を共につくってくれる仲間と出会えたことがとにかくラッキーで、もちろんとっても感謝している。

その上で「やめるか、やめないか」という選択肢すら与えさせないような人生にしてくれた、KYARAの大人たちにはものすごく感謝をしている。

自分が思っている以上に、創ることがやめられなかった。
自分が思っている以上に、自分が愛せると思ったものを愛したいと思った。
そして他の誰かの居場所になれて、おこがましいけれど誰かのことを救えたらいいと思った。

明日、文学フリマに出店します。
「文学フリマとか出てみたら?」という相方の先輩の言葉から始まったユニットが、ついに文フリです。
自分たちが信じて、愛した物語やアートが、たくさんの人に届いて、
誰か一人でも居場所として愛してくれたら、とっても嬉しいです。
とっても楽しみ。
いろんな出会いがありますように。

スーツでライブハウスに来て、ジャケットを脱いでそのままダイブしたお兄さんの姿が、何年も目に焼き付いて離れない。あなたのおかげで、いや、せいで、愛するものを手放さないで抱きしめちゃってます。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。