『月は無慈悲な夜の女王』のススメ
0.はじめに
これは積ん読消化 Advent Calendar 2022の4日目の記事です。もっとみんな積読を読んで。
半年ほど積んでた古典SF『月は無慈悲な夜の女王』を読んだので紹介します。
まずは簡単なあらすじ。
月面に都市が作られ犯罪者を送り込み地球の植民地となってしばらくの月日が経った時代。計算機技術者のマヌエル、独立運動家のワイオ、革命家の"教授"の3人と、月行政府の高度な計算機であり知性を獲得したマイクが手を組み、月世界の独立を目指して革命組織を作り民衆を煽動し地球連邦と交渉し、そして最終的には地球との武力衝突に向かってゆく……。
作中の面白い一節を引っ張ってコメントしていきます。
1.月世界の環境
水資源
月世界では水を氷の採掘から得て、小麦を生産している。それを地球の食糧不足を補うために地球に輸出する。この小麦輸出の問題点を"教授"は次のように指摘しています。
要するに「仮想水(Virtual water)」の考え方ですよね。水が潤沢にあるように見える我が青い星でも、実際に使える水資源は少なく、農作物や工業製品の輸出入から発生する各国の水資源の不均衡さが問題視されますが、はたして本書が出版された60年代からこの概念が公に存在したのだろうか……。
昼と夜
月は1ヶ月で地球の周りを公転し、1ヶ月で自転する。公転周期と自転周期が同じが故に月は常に同じ面を地球に向けていることはご存知のことでしょう。地球から見ると、月は新月(全てが影の状態)に始まり右側から明るい部分が増えて満月となり、左側に明暗の境界線が移っていき、また新月に戻る。視点を移せば、月面では2週間昼が続き、次の2週間は夜が続くことになります。加えて、地磁気により守られる地球とは異なり、月は太陽風の影響をもろに受けるので、昼間は危険であるということですね。
ここまで書いてちょっと調べたら、地球の磁場は太陽と逆側に伸びているので、満月に近い数日間(つまり月が太陽から見て地球の裏側に位置し、月のオモテ面のほぼ全土が昼になる間)は逆に放射線量が減るらしい……1)。まま、ええわ(寛容)
有機転換炉
……有機転換炉だ!
有機転換炉とは、アニメ化もされたSF漫画『シドニアの騎士』に登場する、有機物を循環利用するためのもので、宇宙船(といっても都市規模なのだが)シドニアで死んだ人はこれで分解されるというもの。
いずれも資源が貴重な世界なので、死者すら有効活用するというわけです。
これが元ネタなんですかね、SF史に詳しくないので分かりません。シドニアでは耳に残る名称を与えられてて良いなと思った。
女教師
月世界は犯罪者の流刑地に始まり、そこで繁殖することで社会が続いています。人口300万のほとんどは刑期を終えているかその子孫である一方で、男女間の犯罪率の差に起因しているのでしょうが、月世界の男女比は2:1となっており、これによって地球とは異なる結婚観を持ち(この記事では説明しない)、極端な女性優位社会となっています。
これに起因する、月世界のハード面だけでないソフト面の環境の厳しさにより、犯罪者としてイメージされるような荒くれ者は死に、生き残るのは適応能力の高い者たちである、ということを端的に表したのがこの一節です。
女教師というのはmistressの訳で、これはタイトルでは女王と翻訳されています。タイトルでは地球視点となっていますね。物語上、女王でも女教師でもなく「女主人」くらいの訳し方が意味合いとしては正しい気がしますが、スッと入る語彙ではないし、タイトルとしてのインパクトは薄くなるので……難しいですね。
2.月世界人の思考
人種差別
主人公マヌエルはニューヨークをこう表現している。
最近でいえばこれを思い出しますね。
アカデミー賞、作品賞の新基準を発表 「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など
人種やらセクシャリティやらの多様性を認めるべきだ、差別すべきでないと言いつつ、わざわざ区別して作品や集団の在り方を制限するのはいかかなものでしょうね。
真に「気にしない」人は、大声で「気にしない」とは言いませんし、それを押し付けませんよね。
表現規制
月世界人が自由に参加できる議会において、「○○を禁止する」法律を延々と提案する人物とそれに賛成する人物が登場した際にマヌエルはこのように思考している。
最近で言えば表現規制の流れがまさにこれですね。人間は他人が楽しんでいることが気に食わずに、何らかの理由をつけて禁止しようとするもので、この性質はいつの時代も変わらないようです。
無料の昼飯はない(タンスターフル)
作中、最も重要な思想の一つがこれ。There ain’t no such thing as a free lunch.の頭文字をとってタンスターフルと読む。飲み物を頼めば昼食無料のサービス(身近で言えば名古屋のモーニング文化のようなものだろう)は、飲み物に価格が添加されているに過ぎないのと同様に、あらゆる無料に思えるもの(月では空気ですら)は何らかの形で対価を支払っているということを示しています。
これは国家についても言えることとし、無政府主義者である"教授"は次のように発言します。
現体制における徴税の存在意義としては、富の再分配があり、納税者と税金による受益者は必ずしも一致しないというのが一般的でしょう。
ただ、あくまでも彼は月世界に生きる人物。本書を読めば、"教授"を含め登場人物それぞれの考え方はその環境ならではのものと納得できるものでしょう。
報道の自由
これも"教授"の言葉。現代で言えば"報道しない自由"などと揶揄されるものであったり、巨大スポンサーによる報道規制であったり、トランプ元大統領のSNS締め出し問題も関連するでしょうか。
ニュースがその真偽に関わらず目にも止まらぬ速さで拡散され得るネット社会においては、デマ対策と報道の自由の兼ね合いは難題となっています。
この物語においてはマイクという計算機が鍵を握っている以上、最後の言葉は重くのしかかってきます。月世界の革命劇は果たしてどのような結末を迎えるのか、是非あなたの目で確かめてください。
3.おわりに
『月は無慈悲な夜の女王』は、世界観と登場人物が丁寧に形作られリアリティの高さを感じます。それが表れている文章をいくつかピックアップしてみましたが、いかがでしたでしょうか。
物語としても完成度が高く、主人公たちがどのように革命組織を形成し、月世界の住民を独立運動へと向かわせ、どのように地球連邦と交渉するのか、その過程を常に楽しめることでしょう。
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