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マジカルミライ10th、花譜3rdワンマンに参戦して

0.はじめに

今月、初音ミク「マジカルミライ」10th Anniversary(OSAKA会場)と花譜3rdワンマンライブ不可解参(狂)in日本武道館に参戦した。
2つのライブを経て今感じることを書いておく。

1.初音ミクという原点

マジカルミライは初音ミクを取り巻く創作文化を発信する文化祭であり、初音ミクらボーカロイド6人によるライブとグッズ販売や企業ブース出展が行われる企画展から構成される。1)

初音ミクを初めとするボーカロイド(以下ボカロ)は発売2007年当初から人気を集めていたが、私の認識では2009年頃からボカロオリジナル曲の人気の初めの絶頂期に入った。私自身は、その真っ最中の2010年頃(当時中学2年生だったと記憶)からボカロにハマり、そこからニコニコ動画(以下ニコ動)を初めとするインターネット文化に染まっていった。初音ミクは私の原点である。

ボカロの流行はネット世界に留まらず、ボカロ曲の作曲者(以下ボカロP)やボカロ曲をカバーする動画投稿者(以下歌い手)のメジャーデビューなど、より広く受け入れられるアーティストの養成に繋がった。米津玄師(ハチ)はその最も有名な人物だろう。初音ミクはそういったアーティストたちの原点である。

このような流れの中で、ボカロ曲の流行は2010年代の半ば頃から一度落ち着きを見せ、私も大学受験が近づくにつれてボカロやニコ動から離れていった。

私が目を離している間にもボカロは根強い支持を得続け、2013年より開催されているマジカルミライは今年ついに10周年を迎えた。一方、ボカロを中心としたリズムゲームでプロジェクトセカイ(プロセカ)の人気もあってか流行に再び火がつき、まさに今、2012〜2013年以来の大きな波がきていると考えられる。2)

一度ボカロから距離をとっていた私は、バーチャルYouTuberやVTuberらの歌ってみたや、音声合成ソフトCeVIO AI(ボカロではないがボカロと同様に支持を得ている)の一である可不(詳細は後述する)の誕生に影響されて再びボカロの世界に目を向けた。そして今回、友人の誘いを受けてマジカルミライに参加することとなった。

企画展でもライブでもボカロやマジカルミライの歴史を感じることとなった。

企業ブースではグッズだけでなく、ボカロ仕様の楽器や自動車までもが購入可能なものとして展示されていた。これは単にコンテンツの大きさを示すだけでなく、ファン層が若年層だけでなくまとまったお金を出せる壮年層に達したという連綿とした歴史を表す。
ちなみに、プロセカのユーザーに若年層が多い 3)ことを併せて考えれば、ただ単にかつてのボカロ視聴者が歳を重ね現在の流行を形成しているのではなく、幅広い人気を集めていることが分かる。

10年連続で開催されているだけのことはあり、ライブ自体にも積み重なった歴史がある。事前に友人らから今年のセトリ予想の一部とその根拠について聞いており、(ネタバレに繋がるので具体的な内容とその正誤については書かないが、)歴代のセトリと今年の公式発表を合わせて予測できる今年の展開があり、これが興味深かった。

ライブ本番では、事前の予習にはなかった曲の中で、私が知らないものが主であったが、私がかつてボカロにハマっていた時代のものもあった。そうか、いつだって私は、私たちはここに帰れる。その時々の新たな文化に目移りしつつも、初音ミクはそこにいる。そう感じた瞬間だった。

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2.花譜という前線

花譜とはKAMITSUBAKI STUDIOに所属するバーチャルシンガーである。近年人気を集めているVTuberのようにバーチャルの身体を持ち、独特の世界観のCG映像や実写の風景との合成映像などを交えながらオリジナル曲やカバー曲の歌唱動画投稿を中心に活動している。4)

私は2017年のバーチャルYouTuberブーム以来、バーチャルYouTuberやVTuberと呼ばれる界隈に熱中している。
いわゆるVTuberはYouTubeにおけるライブ放送を中心に活動する人が目立ち、かつて動画投稿を中心としたバーチャルYouTuber文化がそれに飲み込まれた一方で、未だ動画投稿中心で独自の世界観を表現する花譜やKAMITSUBAKI STUDIOには以前から注目していた。
特に、花譜の声をもとに製作された音声合成ソフトCeVIO AI「可不」の発売とそれを用いた創作の流行、そして可不オリジナル曲の花譜への逆輸入により、花譜という表現方法の広がり方は他に例を見ない。
VTuberの魅力ついては以下の私の記事も合わせて読んで頂ければありがたい。花譜についても言及している。

その花譜の3rdワンマンライブ「不可解参(狂)」は日本武道館で開催され、これはVTuber史上初となった。5)

日本武道館はご存知の通り、過去名だたるアーティストが通ってきた道であり、多くの音楽に生きる人々にとってのいわば古典的な目標地点としての意味合いもあると思う。そういった伝統的な会場で行われたライブは、伝統と創造の入り混じった、もはや音楽ライブの一言には収まらない、空間表現であった。

映像と実体、音楽だけでなく詩を組み合わせた表現や、観客のペンライトを一元操作することによる一体感の演出、多様なアーティストとのコラボレーション。
先述の可不の登場のみならず、現実の身体で活動する者、現実の身体とバーチャルの身体の双方で活動する者、花譜同様にバーチャルで活動する者といった多岐にわたるアーティストらが駆けつけ、会場を盛り上げた。
そこには音楽という伝統的な表現に最新のトレンドを組み合わせ、全く新しい在り方を追い求める姿があった。

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3.原点と新たな原点

花譜は歌手という枠に囚われない、新たな表現の道を突き進んでいる。現在の最前線は、未来には全く新しい文化の原点となるかもしれない。
初音ミクは私(たち)の原点であり、同時に、花譜を初めとする新たな表現の原点とも言える。彼女は作曲をしたい人にとっても歌を歌いたい人にとっても、音楽をより身近なものとした。「歌ってみた」という言葉自体がボカロ曲のカバーから発生しているように、ネットの音楽文化をこのような形で定着させたのは初音ミクである。花譜のオリジナル曲を数多く手がけるカンザキイオリがボカロPであることは極めて直接的な根拠と言える。

可不は初音ミクとの二強と呼ばれるようなブームを巻き起こしている。6)
花譜から生まれた可不は、かつてボカロPやボカロファンからキャラ付けされてきた彼女と同様に、カレーうどんが好きというキャラクター性が広まりつつある。7)
既に可不は表現者の原点となりつつある、初音ミクがそうであるように。

文化がどれだけ分岐しても、表現方法のトレンドがどれだけ変化しても、初音ミクはいつまでも変わらずそこにいる。私たちが帰る場所はそこにある。

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