空虚な「わたし」を埋めるもの

 自分の存在に不安を感じて焦燥感にかられることがある。


 自分以外の他の人は、例えば知識とか経験とか思考とか、そういったもので実が詰まっているようにみえるのに、わたしはひどく密度が小さいような気がする。
 体を切り開いても、すかすかで何の支えにも土台にもならないような空気しか入っていないような、そんな感覚。


 わたしを支えるもの、形作るものがない。
 だとしたらわたしは誰だろう。


 自分が空虚であることを認識すると怖くて叫び出しそうになるので、そうならないように文章を書いている。

 文章を書くことで、「わたしは文章を書く人」というアイデンティティが与えられるから。
 空虚な体にこれまで書いてきた文章が堆積していってくれると、書くことに縋っていられるから。


 つまりわたしは、「わたしは何者か」が分からないんです。
 だから「わたし」を形作る唯一無二のアイデンティティみたいなものが欲しいんです。

 唯一無二のアイデンティティに依存しているんです、自分が存在することの証明を。


 アイデンティティを探し求めるなんてまさに現代病という感じがする。
 住む場所も食べるものも着るものも苦労せず手に入れて生き延びられるようになってしまったから、今度は手に入れ難いアイデンティティなんてものを探し求めているんだと思う。


 いまのわたしは「わたしはわたしであると証明するための唯一無二のアイデンティティ」にしがみついていて、それを獲得することが文章を書く動機になっているけれど、このしがみついた手をちょっと離してみたいとも思う。
 しがみついているのは疲れるから。


 緩んだ手の隙間から何かが流れ込んでくるみたいに新しい出会いがあるのかもしれないなぁ、なんて思っている。


 自我を手放したところに流れ込んでくる偶然みたいな、なにか。

いただいたサポートはこの世界のおもしろいもの探しに使わせていただきます