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小さな幸せの見つけ方        ~魔法が解けるその前に~

 どうも、ひもすです。今日は幸せのタイムリミット(期限・期間)について解説していきたいと思います。これを理解する事によって、自分の着地点が見えたり、目指したいの幸せの方向修正を出来るようになると思います。では、早速いきましょう!

幸せのタイムリミットとは?

 皆さんは「幸せ」を感じている時間を意識したことがあるでしょうか。私は「幸せ」について本気で考え始める前までは、全く意識していませんでした。正直、意識しなくても普通に生きていくだけであれば大した問題ではないからです。しかし私が皆さんに伝えたいのは「小さな幸せの見つけ方」です。普通+αなのです。そう考えると「幸せ」を感じる時間の意識化は結構大切な事になってきます。

  例えば、自分の一番の大好物を食べたとします。すると食べた時には幸せな気分を味わる事になるでしょう。

 Q、その時の気分はいつまで持続しますか?

 A、人によってまちまち。

 早い人だと食べ終える頃にはその気分が覚めるのではないでしょうか。遅い人でもまさか一週間その瞬間の気持ちが持続している人はいないと思います。逆に幸せを持続させるために、自分の一番の大好物だけを一週間続けて食べたら、幸せな気分は何処か彼方へ消えて行く事になるでしょう。違うものを食べて、或いは時間をおいて、再び一番の大好物を食べる事により、あの時の幸せが復活するのです。しかし悲しいかな、時間を置いたとしても何度か繰り返していれば、最初に感じた感動的な幸せを味わう事は出来ません。繰り返しても味わえるのはそこそこの幸せです。でもだからこそ良いのです。私が繰り返し伝えたいのは「小さな幸せの見つけ方」です。この現代社会を全力で走らず、競争せず、歩いて、或いはゴロゴロと転がりながらのんびりといてゴールをする生き方です。

 食べ物を例に挙げましたが、何でもそうだとは思います。基本的な考え方として「1」に対しての幸せは「1」であり、無限に継続する事はありません。具体的に云えば好きな物を食べる事で食欲が満たされ幸せになったとしても、同時に睡眠欲が満たされ眠る幸せが味わえるわけではないという事です。服を買えば服に対する幸せであり、誰かと闘って勝てば、勝者の幸せであり、宝くじが当たれば、お金に対する幸せしか満たされないという事なのです。しかも、それは一時的なものに過ぎないという事です。勿論、例外を作ることは出来ると思いますし、幸せの派生や連鎖だって起こりえます。ただ、ここではあくまで基本的な考え方として捉えて下さい。つまり、これが「幸せのタイムリミット」となるわけです。

諺から学ぶヒント

 イギリスの諺(格言)にこんなものがあります。

 【一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け。一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。

 幸せになる為のアドバイスとして見た時に、成程なぁ~と感心していまいますね。身近な例を挙げているのが実に共感を生みます(恐らく、共感しない人もいるとは思いますが、あくまで諺の範疇としてみて下さい)。床屋(見た目を変えた・さっぱり気持ち良くなった)、車(移動手段が増えた・自分だけの居場所が出来た)、結婚(自分を支えてくれるパートナーが出来た・守るべきものが出来た)、家(自分のステータスが増えた・主になった優越感)、正直(*別記載)という非常にわかりやすいものとなっています。

 ポイントは一番最後の「一生幸せでいたいなら、正直でいること」です。それまでに出てきたものたちは一時的な幸せに過ぎず、薄れていくものです。つまりは外的要因は幸せのタイムリミットがあり、内的要因こそ幸せを持続させるポイントだという事です。

自分を振り返る

 私の実体験から…子ども時代の話。12月のある日、私はソワソワして夜も中々寝付けませんでした。理由はそう、クリスマスだったからです。年間の中でも一大イベントと云っても過言ではありませんでした。サンタさんが私にプレゼントを届けにやってくる!何より嬉しかったのを今でも覚えています。  

 確かにクリスマスの他にも、お正月や誕生日も一大イベントなのですが、お正月の親戚から貰えるお年玉は、金額の8割以上「あんたの将来の為に貯金しておくね」と母に云われ、半ば強制的に没収され、いつも手元に残るのは1~2万程度。誕生日では、親から「誕生日に何が欲しい」とリクエストされた事はなく、私がその時に欲しいと思っていた物が貰えたためしがありません(サプライズプレゼント好きの両親でした)。親としては愛情をもって祝ってくれ、その形としてプレゼントなので客観的に見れば十分に幸せなのです。しかし、その当時の事を思い出すと「幸せ」を感じるというよりは「親が折角自分の為にプレゼントをくれたのだから喜ばなければ」という気持ちが強かったように思います。では、クリスマスに訪れるサンタクロースはどうだったでしょうか。

 各ご家庭の事情にもよりますが、私の家庭では12月に入ると「自分の欲しい物を手紙に書いて風船で空に飛ばす」とう儀式的なものがありました。その画期的なシステムにより、自分の望む物が手に入ったのです。但し幾つかルールがあり、うろ覚えですが…

【1、サンタは生き物は運べない(ペットはダメだよ)。2、サンタのソリに乗せる物の限界がある(あまりに重いものや沢山お願い出来ないよ)。3、サンタはおじいちゃんだからゲームは疎い(ゲーム機やソフトを頼んでもちゃんと臨んだものがプレゼントされるとは限らないよ)】

 改めて見てみると完全に大人都合ですね(笑)。そんな条件下でしたが、なんだかんだでその時に欲しいと思っていた物は大体プレゼントしてもらいました。ありがたや、サンタクロース。

 しかし、プレゼント(当時は主に玩具関連でした)は正直、遊んでいるうちに飽きてしまいます。特に流行りものは次から次へと出てくるので、1年も経過する頃には新しい玩具に気持ちが動き、折角、サンタさんから頂いた玩具だったのに、全く見向きもしなくなりました。

 さて、そう思い返した時に「ものの価値」だけに目を向け幸せを感じるのではなく「大切に思う気持ち」を継続させた方が幸せを持続できた気がします。

結論

 小さな幸せを見つける為には、外的要因も悪くはありませんが、常にタイムリミットがある事を意識しましょう。魔法は必ず解けます。しかもお金がかかる場合が非常に多いです。幸せを持続させたいのであれば、内的要因にも目を向けてみては如何でしょうか。

 本日の話はここまで。小さな幸せは見つかりましたか?「見つけられたよ!」という方は是非、スキやフォロー、コメント等をお待ちしております。また来週、お会いしましょう!ではでは。

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