いつでも陽気に笑ってろ。


 おととい買った本
  中村文則の『遮光』を昨日読み終えた。


今まで中村文則作品は全然6冊くらい見た気がするけど先週読んだ「銃」と同じように今作もかなりかなり作者のエネルギーが余す事なくしっかりと注ぎ込まれた純度の高い作品だった。


前々から思ってたけど特に初期の頃におけるこの作者の作風は特徴的だと思う。

一言で言えば、恐ろしく暗く重いのに恐ろしく綺麗で鮮明、みたいな。

回りくどいあやふやな感情や表現は排除された
極めてピュアな状態の心の内面というか氷結に見える。


今回のタイトルは「遮光」

生きることって本当に苦しいしつらいし面倒くさいしやるせないし、不条理だしどうしようもないこともある。


どうしようもないこともある。

主人公は前作と設定自体はほとんど変えず
幼少期から家族を亡くし暗澹たる時間を過ごしている。
自分の感情に蓋をするようになる。
そして、「ふりをする」ことが習慣になる。

大人になるにつれていつしか自分の本当の感情がどこにあるのか分からなくなる。


そんな中で恋人の死によって初めて自分の本当の感情が描写されたシーンが起こる。

自分の感情が描写されたときに
太陽の光が身にまとわりつく事を感じる。

太陽の光がある事で初めて自分の輪郭が鮮明にこの世界に浮かび上がる。


それまでは

不幸なことがあっても自分がそれを認識しなければそれは不幸にならない

というスタンスで生きてきた。


つまり、

作者の世界における光とは


必ずしも他の人間たちが用いるような光では決してなく

あくまで不幸な人間をより不幸に、

この世界での在り方を、そのまま綺麗にくっきり際立たせるものとして現れる、

死んだ彼女の指

燃やす、ちぎる、盗む、瓶に入れる、持ち歩く

過ごす、壊れる自分、すぎる日常、狂う自分、浮かび立つ太陽、


なんとか光を遮ろうとする。


指の劣化を、防ぐため
そして自分自身の姿をこの世界に
輪郭化させないために

読んでいて本当に引きこまれた


本当に面白かった

俗世間で持て囃されている大衆受けするような
表面上のフィクションではなく
人の核心部分で人生における不条理の本質を目を逸らすことなくしっかりと書き出されていた。

だめだ、、今タップルしながら書いてるから全然うまくかけねえわ

しかし

主人公の自分の本当の感情がどこにあるのかだんだん分からなくなっていき
常に何かの演技をしているような気になる

というのは本当に自分自身ではないかと思った

軒並みなこと言うけど読んでいて当てはまるとこが多すぎて慄いた、、


でも感情なんてそういう物でもあるよなとも思う。


とく他者との関わりの中において生じる自分自身の行動なんてそうだと思う。

自分の心の本音100%がそのまま行動になるわけでなく
他者からの視線、場の空気によって
自分はそれに準じた行動をとる(その時心の本音パーセーンテージは高くも低くもある)


私は彼女に料理をつくり、薬を買ってきてやった。本当はそんな事するつもりはなかったがそうする事がより典型的だと思ったからだ。
私はそれから世間の人間がそう言うように暖かくして寝ろと声をかけた。


2年前くらいのマジで暗黒の中にいた頃の自分がこの日記読んでたら吐き気するくらいこれ書いてるやつ嫌いになりそうだななんとなく

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