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麻雀はみんなのもの

前書き

さて・・・一夜明けてようやく来賀さんとの思い出を書く気持ちの整理が出来たというか、まだ全然出来てないんだけど書かなければならないという気持ちに駆られてというか自分でもよくわかってませんが書いていこうと思います。

出会い

2007年(今から15年ほど前)に遡ります。
ちょうどその頃、私は連盟の関西本部から東京本部に移籍する事が決まり、知人の紹介で連盟員であり不動産屋さんでもあった岡田茂さんに物件を紹介して貰い、東京都内で一人暮らしを始めました。

私は関西本部からの移籍組だったので東京本部での知り合いが殆どおらず、当時運営の責任者をしておられた藤原さんを頼って藤原さんがゲストの日に池袋にある文化サークルという雀荘によく遊びに行っていました。ちょうど大阪の会社を退職し、失業保険を貰っている最中だったので時間的余裕があったというのもありました。そこで藤原さんから紹介されたのが来賀さんでした。麻雀終わりに行きつけの居酒屋にみんなでいってその日の麻雀の内容を酒の肴にあーだこーだと語り合うのが定番の流れでした。

当時ブンクルの店長は山井さんで、従業員が谷井さんだったり三浦さんだったり、101の佐々木さんもいたかな?
お客さんとしては今里さん、黒沢さん、和久津さん、吉田直さん、平山さん、水越さん、石川さん、ウッチー(内川さん)、若林さん、曽我さん等々プロアマ問わず様々な人が藤原さんを慕って集まっていたと思います。もちろん来賀さんもその中の一人でした。

来賀さんが天牌の作画用に時々牌譜をとっていたのをよく覚えています。
天牌の中に登場してくる牌姿はだいたいこの時実戦で登場した牌姿を元に描かれていたと思います。かくゆう私も天牌の原作に自分の実践譜を何度か載せて頂いた事があります(^^♪めっちゃ嬉しかった、宝物ですね👍

だいたい終電過ぎても飲んでることが多くて解散するとそれぞれの帰宅する方面に合わせてタクシーを拾っていたんですが、その方向が来賀さんと平山さんと私がたまたま一緒だったんですね、三人で同じタクシーに乗って帰っていました。平山さんを途中で降ろしてそこから最寄り駅まではず~っと来賀さんと二人きりです、初めのうちはとても緊張して何を喋っていいのかわからず戸惑っていましたねwそれを察してかわかりませんが、来賀さんの方から私によく話しかけてくださいました。私にとってとても贅沢な時間でした。当時私が25歳、来賀さんが50歳、ちょうど親子くらいの年齢差です。

なんの偶然かわかりませんが、来賀さんと私の住んでる最寄り駅が一緒だったんですね。しかもお互いの自宅も歩いて3分程度という事が分かり、ツイてるな!って運命を感じました。麻雀の神様は本当にいるのかもしれません。たまたま紹介された物件が来賀さんのご自宅の近所だったんですからwこんな事普通ないですよね。

夢の時間

それからというもの毎週木曜日(たしか藤原さんのシフトが木曜日)が私にとって夢の時間となりました。来る日も来る日も来賀さんと麻雀打って、一緒に飲んで、一緒に帰っての繰り返しですから。来賀さんは父親のように私に接してくれました。あそこのスーパーが安いだの、クリーニングはどこが良いだの、家電買うならここに行けだの、定食屋はあの店が美味しいだの、病院ならここに行けだの、身の回りの事や日常生活でも本当にお世話になりました。いっても赤の他人ですからね、普通ここまで親切にしてくれないと思うんです。上京して右も左もわからない私にとっては本当に助かりました。
そういえば書いてて来賀さんオススメの蕎麦屋さんを思い出したので、近いうちに久しぶりに行ってみようと思います(^^♪

※途中まで書いてて思ったんですが、書きたい事や思い出があり過ぎるので何回かに分けて書こうと思います。取り合えず第一弾ということで今回はここまで。

写真は来賀さんの近代麻雀編集長時代のものです。
めちゃくちゃカッコイイですよね(^^♪大好きな写真です。

続く・・・


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