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けいこにっし 九日目


稽古日誌ここのかめ

  かめ!かめがついている!いや、いままでもずっとかめってついてるな…。ここのかめって書いたら急にかめという文字が強調されて見えて気づきました。不覚。
  というわけで、今日はかめの稽古でした。ものすごくはやくとぶかめ。

  ようかめの日誌にモンハンのことを書きすぎて「演劇の話ももうちょっとしようね」と言われてしまったので、今日はまじめにいきます。


  今日の稽古は東象太朗くんとでした。やっぱり初回と二回目って大きく変わりますね。家で考える時間があるから当たり前なんですけど。


  でも、家で台本を読んで「ここはこうかな?」ってサブテキストやプランを考えても、稽古場でやってみるまで正解かどうかの自信なんて全くないし、なんなら違うことの方が多いんですよね。
  なんでかっていうとまあ私の想像力不足も否めないんですが、やっぱり相手が実際にいて立ってやるとまた全然違うプランが浮かんできたりするんですよ。本当に、自分が場に入る直前で思いつくこともあるし、台詞を喋りながら「あれ、もしかしてここってこういう捉え方もできるのかも?」って思ったりもします。
  特に今日は林さんのダメだしからたくさんヒントをもらってしまいました。演出家からのダメだしって、自分じゃなくてもものすごくヒントになるんですよね。あ、相手がそういう意図でやってほしいんだったら私の役はきっとこういう意図なんじゃないかなって、グッとまた想像が広がるんですよ。想像というか、できることかな?

  あと、私は稽古の初期段階でよくやりがちなのが、相手のト書きを忘れるということです。そのト書き通りにやるために自分が動かないといけない、というか、それも演技プランのヒントなのにどうしても最初は自分のことでいっぱいいっぱいで見落としてしまいがちなんですよね。今日もやりながら「あ、ここの反応引き出せてない」って気づいたし。
  あと、林さんのダメ出しで今日一番印象に残ったのは「余韻がない」です。ただ入るのと意図をもって入るのはもちろん見え方が全然違って、私としてもなのかめに指摘されて以降注意していたつもりなのですが、自分でやっているつもりでもお客さん(この場だと演出家)にそう見えてなかったらそれはやっていないことになってしまう。伝わらないと意味がないんですよね。意味がそのまま伝わるとそれはそれで余韻がないので、なにかさりげなく引っ掛かりをもたせられるようにしたいなと、今日稽古を経てとあるシーンに対して思いました。

  で、今日は稽古の最後の30分間、象太朗くんと二人でのディスカッションの時間をもらいました。二人でどうしたいかお互い意見を言い合ってって。かなみちゃんとの稽古でやったやつみたいな感じですね。

  この時間、想像以上に有意義なんですよね。大人数だと裏練(自分がシーンの演出つけてもらっていないときの練習のことです)のときにやる作業だと思うのですが、二人稽古だと裏練というものがないので、こういう風に二人でじっくりと詰められるのはありがたいです。

演出家は最初から最後まで指示するものではなくて、やはり役者から提示したものを厳選して洗練させていくものでもあると思うので、おんぶにだっこにならないことが大事だなって思います。


  ただ、時間がなくて話すだけになって実際に立って合わせられなかったのが少し不安!次の稽古で会ったらちゃんとできるかな。

  今日二回目にしてかなりいい感じに詰めた感じがするので、この調子で明日の齋野君くんの稽古もやってやりたいなと思います。
  まじめにお送りしました。

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