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時間というクスリ

できればほぼ毎日公園まで歩きに行きたいと思っている。歩いているときは、瞑想のような感じになり、自分の中のモヤモヤに答えがでたり、手放せなかったネガティブな気持ちがすっきりとすることがある。今日もそんなことがあった。

しばらく前にあった出会いでうまくいかなかったことがあった。その時私はすごく傷ついて被害者意識を持っていた。どうしてこんなことが起こったのだろうと思った。だけど、最近とくにそのときのことをたびたび思い出すようになっていた。気持ちは被害者意識とは少しちがっていた。そのときの自分のことを少し恥ずかしく思うような気持ちだった。

私はそのとき、神様がいるならどうしてこんなひどいことをするのだろうと思っていた。こんなことになるくらいだったら、出会いなんてないほうがよかったと。持ち上げられたあと突き落とされたような気持ちだった。最初から期待しなければよかったと思った。そんな気持ちになったことは初めてではなかった。ずっとずっと前、学生だった頃にもそんなことがあったように思う。

今日、歩いていたときにYouTubeである人の話を聞いていた。引き寄せについて、よくその人の動画を見ているのだけど、同じような話をする人はたくさんいる中でもその人の話はとくに心に響いた。「波動」の話だった。同じような波動を持つ人や出来事が引き寄せられるというような話だった。

その話を聞いていて、はっと思ったことがあった。私は過去の傷ついた出会いについて、ずっと被害者意識を持っていた。なかなかその感覚は手放せているようで手放せていなかった。だけど、その波動というような話でいったら、私はその出会いの前に、もうひどく傷ついてボロボロな状態だったので、同じように傷ついていた人と引き寄せあったのではないか。そう考えると辻褄があった。過去の同じような経験のときも、私の心理状態はそんな感じだった。神様のせいではなかった。同じような傷をもった私たちは引き寄せあって出会ってしまったけど、まだお互いにその傷をいやせるような段階ではなかった。だから、出会ったことによってさらにお互いに傷つけあって、結果的に離れることになったのだと。たしかに、その出会いはむだではなく、時間はかかったけど私に大切なことを気づかせてくれた。そして相手に対して、本当にあの時傷つけてしまってごめんなさいと心の底から思うことができた。そして、たぶんこれから先会うこともなく、もし会ったとしても、以前のようにかかわることはないのだけれど、でも、絶対に幸せになってねと思った。違った場所でお互いにしあわせになろうねって。

心の傷を癒す方法はいろいろあると思うけれど、けっきょくは時間というものが一番のクスリだったのだなと思った。副作用のない、気休めかもしれないそのクスリを、今日も1粒飴玉のように口に入れてみる。いつの日かそれさえも忘れる日がくるのかもしれない。

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