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敬老の日に思うこと

買い物に出かけたら、和菓子屋の前に行列が出来ていた。なんだろうと思って見ていたら、おはぎのポスターが。そうか、お彼岸で敬老の日、おはぎを持っておばあちゃんの家にいったりお墓参りしたりするのかな。私も3時のおやつはおはぎにしようかな。

「おばあちゃんの家」と書いたのは、私にはおじいちゃんがいたことがないから。おじいちゃんは、父方も母方も私が生まれた時にはもう亡くなっていた。だから私の人生でおじいちゃんという存在があったことがない。その代わりにというのもおかしいが、おばあちゃんはたくさんいた。私の両親は二人とも実の親との縁が薄く、養父母に育てられていて、実の母も健在だったので、私にとってのおばあちゃんというのは、両親の養母二人、両親の実母二人、そして父の実の祖母という感じで5人もいたのだった。私はその人たちにとって、初めての孫またはひ孫だったので、すごくかわいがられたのを覚えている。

その中で私が一番好きだったのは、母を育てたおばあちゃんだった。私とは血はつながっていないけど、一番私とこころがつながっていたと感じる人だ。今でもなにかに迷ったときなどには、おばあちゃんだったらなんていうかなと思ったりする。

昨日は、もうおばあちゃんになった母と久しぶりに出かけた。といっても、実家からそう遠くないお寺にいってお昼を食べたくらいだけど。歩いているときに、母が突然「私は、かわいがられた記憶ってなかったよねー。どうして私をもらったんだろう、ていうくらい」といった。母は、たまに祖母とのことをそんな風に話す。私にとっては一番好きなおばあちゃんなので、私は少し複雑な気持ちになる。だけど、実の親子ではなかった(母が養女になったのは5歳くらいだったのでもう覚えている)し、お父さんは母が10代のころになくなったので、いろいろ大変なこともあったんだろうなと想像できる。お金には困ってはいなかったようだけど、母子の関係はうまくいっているとは言えなかったようだ。

私は思春期の頃から母との関係が悪く、それは私が30代後半になるまで続いた。厳密にいうと小学生くらいの頃から、母には厳しく当たられていて、それが思春期くらいになるとすごく理不尽なことだと思い反発するようになったという感じだ。子ども心に、母に「八つ当たりされてる」という気がしていた。その八つ当たりは、母と姑(父の養母)の関係が悪かったことが原因だったと思う。

今、母との関係が改善してから、母はぽつぽつと自分と養母の関係を話すようになった。母は自分の親にはすてられたような気持ちをもっていた。子どものいない夫婦の養女になったわけだが、母の生家はきょうだいはたくさんいたけれど、生活に困っていたわけでもなんでもないのに、どうして親戚でもない夫婦に子どもを養女に出したのかという話が、親せきで集まると話題になることもあったそうだ。実の母にはすてられて、子どもがほしかったはずの養母にもかわいがられた記憶がない。そんな母は、私という実の子どもを持った時に、どう接していいかわからなかったのではないか。私は自分と母がかつて関係が悪くなった原因はここにあるのではないかと思うようになった。

どんな理由があったとしても、子どもに対してつらく当たることは許されないと思う。母が当時私にしていたことは、今だったら毒親といわれててもおかしくない。もしかしたら、母は最近ちまたで聞かれる「毒親」という言葉に反応して、自分と親との関係も振り返っていたのかもしれないなと思う。もし、そういうときに気軽に相談できるところがあれば、友達にも話しづらいことを聞いてもらえる場所があったら、このような連鎖的なことは起きなかったのではないかと思う。

母ももう歳なので、いつまでお出かけができるかわからないけれど、私と母の仲良しの歴史はまだ短い。母が元気なうちにできるだけたくさんお出かけしよう。楽しいことをしよう。おいしいものを食べよう。

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