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パリ、東京、行ったり来たり。(9)ポワンゼロ

 パリのノートルダム大聖堂は、私のパワースポットのひとつなのですが、パリで生まれた人にとっても、また外から来た人にとってもノートルダムは特別なものなのだということが、あの火事のときによくわかりました。私にとってもそうだったのです。燃え続けている大聖堂を祈るように見守る人たち。聞こえてくる歌声。まさにノートルダムはみんなを見守るお母さんのような存在なのだと思いました。
 大聖堂の前の広場の足元には「ポワンゼロ」(パリゼロ地点)があります。ここを起点としてパリから何キロかということになる、まさにパリの中心です。ここをはじめて踏んだとき「パリに来た」と実感しました。観光客よりも一歩進んだ、「今ここにいる」迎え入れられたような感じ。それが、私はここをパワースポットと思う理由なのかもしれません。クリスチャンでもない私がそんな風に思うのも不思議な感じです。だから私はいつもパリに行ったときに、必ずノートルダムの写真を撮ってしまいます。
 私もそんな特別な思いをいだいていた大聖堂だったので、あの火事はとてもショックでした。そのときのことが映画になった「ノートルダム 炎の大聖堂」を少し緊張しながら観に行きました。死者はいなかったということがわかっていても、最後までハラハラしながら見ていて、肩に力が入りっぱなしで足を踏ん張っていたようで、終わったあとには体中が疲れていました。石で出来た建物だから全体が崩壊しないですんだのだと、木の建物の国に住んでいる私は思っていましたが、実際には崩壊の危機だったということを映画で知りました。
 火事のあと復旧工事中の建物の前を通ったとき、痛々しいというよりは、がんばっているように見え、また会うことができて、ほっとしたような気持ちがしたのを覚えています。
 あれから数年が経ち、工事中の状態も見慣れてきました。中に入ったりできるようになるのは、まだまだ先かもしれませんが、以前行ったときに見た光景が不思議なくらい鮮明に思い出されます。形あるものはなくなったり変わったりしても、心の中にはちゃんと残っているのだなと思いました。
 工事中なのを道の反対側から見ていたので、ポワンゼロの前まで行けるのかもわかりませんでしたが、行けるようだったらまたあの場所を踏んでみたいと思っています。ポワンゼロは、私にとって「パリに来た」ことだけでなく、「いつでも初心に戻ってまた出発する」という気持ちを再確認できる場所なのだということを、あの場所のことを思い出しているうちに感じました。私も時に傷ついてボロボロになったとしても、また出発することができる、そんな気持ちになりました。

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