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「卑弥呼」ファン集まれー!!(6) 「北野元宮」「阿遅須伎高日子尼命神」は、神棕明神❓❓ =居處宮室樓觀 城柵嚴設❓❓

 写真は、「からたち山」頂上付近にある「雨乞い岩」           神崎郡福崎町西田原588番地に「宮田」(みやでん)と呼ばれる「田」があり、古図には「神社用地1坪」と記され、柱の礎石(H80cm径5~60cm石の礎石)が最近まで残っていた。

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 手掛かりと言えば 国内鎮守大小明神社記。                  播磨國惣明神大小七十四社 神埼郡十二社の中の神棕明神(かみおみみょうじん)だけでした。 
 棕櫚は、黄金色の染色の材料、迦毛大神、葦原志拳乎命(醜女)へと繋がり、文殊堂(現岩尾神社)文殊会祭礼絵馬の中に偶然「六所宮の幟」の表記があった。
 北野元宮(神崎郡福崎町西田原五百八八番地)文殊堂の北脇社、天神山南麓の六所宮の跡地、現天満宮の脇社「六所宮」、祭神「六縣主命神」でほぼ「阿遲須伎高日古尼命神」「山の神」へと繋がりました。
 私が、平成25年3月に著した「北野と妙徳寺」の著書の中で、神積寺追儀式(鬼追い式)に出てくる「山の神」は、「阿遲須伎高日古尼命神」と比喩できていました。

居處宮室樓觀 城柵嚴設

明治6年田原村西田原小字絵図抜粋(字東新田真下のピンク表示が「北野元宮」の意匠地)(中央の池が、柳田國男が氷遊びをした「西池」左上白地が兄嫁の里「皐家」)

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この田原郷にも、
 1.神棕神社(六所社)北野天満宮脇社        阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神)を主祭神?(神積寺の鬼追い・山の神)
 2.かつらぎ社
 「一言さん」と言われいる。八重事代主命(事代主)配祀する。?(歴史民俗資料館前の脇社)
 3.磐社(岩尾社・巌社 多伎都比古?北野竜神伝説)
それと、それよりももっと古い「牛頭大王・素戔嗚尊」を配祀する「祇園社」も存在するのです。(北野天満宮脇社)

《神棕明神》(かみおみみょうじん)とも聞かされたことがある。

國内鎮守大小明神社記 播磨國惣名神大小百七十四社    神埼郡十二社             o 神棕明神  ―  かみしゅろ 山の神は、シュロの髪の毛 (棕櫚で繋ぐ。)若しかして、葦原志拳乎(あしはらしこね)命(棕毛)「北野元宮」が神棕明神(棕)❓❓

神積寺の「鬼追い式」                                                                                           神積寺の「鬼追い・追儀式」の最大の特徴は、山の神(ぶさいくな醜女の顔の鬼面)の登場にあります。これがまた、ぶさいくなのですがそれがまたまた人気者なんですねー。美女は、3日見れば飽きるが、醜女(しこね)ブスはいくら見ても飽きない本当なんでしょうねー。
 神積寺の「鬼追い」は、1302年(乾元元年)に後二条天皇の勅定により、疫病快癒祈祷のため、京都宮中の伝統行事と同じ修正会の最後の日(正月の1月14日)に合わせ祈願せよとの勅で、下僧のうちの14人程が追儺会を行ったのが始まりと伝えられています。
 この地での鬼は、薬師如来の化身、山の神(阿遅須枳高日子尼命=葦原志許乎命(醜女・しこね=ぶさいくな女)、毘沙門天の化身、赤鬼(荒々しい・建石敷命)、文殊菩薩の化身、青鬼《多伎都比古(たきつひこ)=北野大蛇伝説の姫・おとなしい女》と重なっており、また山の神(阿遅須枳高日子根命)は、赤鬼(建石敷命)と青鬼《多伎都比古(たきつひこ)》の母親となるのです。
 薬師如来の化身の山の神はぶさいくな醜女面と松明と御幣、赤鬼は赤い鬼面と松明と鼓、青鬼は青い鬼面と松明と鉾を持ち踊ります。鬼追いは神積寺の本堂で堂内を閉め切り、真っ暗な中で行われ、つぎにホラ貝鐘の音にあわせて場外3ケ所(本堂東・本堂西・奥の院前)で踊りを披露します。
 鬼は何も見えないので、蘇民将来「しょーめん そーらい・しょーめん そーらい」の繰り返しの掛け声に合わせて「押して・引いて・廻―わる」左右で踊っているのでしょうー。
 鬼の花=茶に浮かべて飲むと腹痛直る。松明=玄関に置くと魔除け。青鬼の松明=子供の夜泣きが直る。と言い伝えられている。            蘇民将来「しょーめん そーらい」。私の物心のついた昔、鬼追い式西の広場で、鬼が「しょーめん そーらい」「しょーめん そーらい」と言って踊っていた。

 正面とは?、横で踊っているのに何を言っているのだろう。❓❓ との鮮明な記憶がある。 これは、「魔除け」の呪文だったのですかねー。


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