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60「卑弥呼」の墓-発見!!最終稿!!全体ビュー4516up!! Everyone Thank very much!!

「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」説、「臺興・天豊津媛命」説!!         卑弥呼ファン集まれ!! 「卑弥呼」はここだー!! 
〇卑弥呼の父(埴岡寂諦) sakurako_saku・・・・、
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 神仏や霊魂などの超自然的存在が人間に災いを与えること、また、その時に働く力そのも。人間社会の法則や論理では制御不能な出来事が起こった際に、それを強大な霊力の発現であると考える解釈。
 流行り病い、飢饉、天災、その他の災厄そのものが神の顕現であり、それを畏れ鎮めて封印し、祀り上げたものが神社祭祀の始まりとの説がある。
 人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力( 祟り)が人に及ぶと考えられている。

古事記(抜粋)
 そこで、(諏訪の地から)再び戻り、待機していた大国主(おおくにぬし)神に問いました。 「お前の子ら、事代主(ことしろぬし)神、建御名方(たてみなかた)神の二神者は天津神(あまつかみ)の御子の言いつけに従い、違えることはないと申された。それではお前の意思はどうだ。」
 この問いにお答え申し上げました。「私の子ら二神は従うと申し上げました。私は、これを違えず、この葦原中つ国は御子の言いつけのままに、すべて差し上げましょう。 ただし、私の住む所は、天津神の御子の天つ日嗣して治める世のご立派なご住いに似て、 地の底の岩に宮柱も太く、高天原に千木も高い宮として、 統治なされれば、私は 国土の隅々の多くから身を引き、お仕え申し上げます。 また私の子ら百八十(ももやそ)の〔=数多い〕神は、八重事代主が神々の末端で、御前にお仕えする以上、違える神はありません。」
 このように申し上げまして、出雲の国の多芸志(たきし)の小浜に天(あめ)の御殿を設け、 水戸神(みなとのかみ)の孫、櫛八玉神(くしやたまのかみ)を料理まかない人とし、天の饗宴を開いて差し上げ、その時、呪文を唱え、櫛八玉の神は鵜に変わり、海底に入り、底の埴(はに)土を食って吐き出し、 多数の天の平瓮(ひらか、食器)を作り、海藻の柄を鎌で刈り、火鑚臼(ひきりうす)を作り、アオサの柄を用いて火鑚り杵(ひきりきね)を作って火を鑽(ひき)り出し、祝詞を唱えるに、 「この我が燧(ひき)りする火は、高天原(たかまがはら)には神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)の立派な天(あま)の新宮殿の煤(すす)の長く垂れるまで焼き挙げ、 地下は、地の底の大岩まで焼き凝らせましょう。」と祝詞を唱え、 長い縄をはわせ、漁夫に釣らせた口の大きな魚の尾が跳ね、 鱸(すずき)をざわざわと引き寄せ釣り上げ、 投げ入れた竹(の釣竿)はたわみ、そして天の真魚(まな)を祭壇にお供えし、食したのでした。
 このようにして、建御雷(たてみかづち)の神は戻り天に昇り、葦原中つ国との交渉をまとめ上げ平定するまでの、経過を復命しました。
 そこで、天照大御神(あまてらすおおみかみ)高木神(たかぎのかみ)のお言葉をもって、皇太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳(まさかつあかつかつはやひあめのおしほみみ)の命(みこと)に詔(みことのり)し、 「今、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定し終え、大国主は『それなら、言いつけに従います』と申したので、天降りして統治して下さい。」と仰りましたが、
 これにその皇太子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳の命、答えて申し上げるには、
「私が、まさに降りようと準備を進めている間に子が生まれ、その名を天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸(あめのにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)の命と申します。この子が降りるのが良いでしょう。」
 この御子は、高木の神の娘、万幡豊秋津師比売(よろづはたあきつしひめ)の命と結婚し、 お生まれになった御子は、天火明(あめのほあかり)の命、 そして日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の命です。
 よって、天忍穗耳の命の申し出に従い、日子番能邇邇芸の命に科して詔(みことのり)され、
「この豊葦原(とよあしはら)の水穂(みづほ)の国は、あなたが治める国として支配なさいませ。よって詔に従って天降りしなさい。」と仰りました。
 そこで日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の命が天降りしようとした時 天の八巷(やちまた)にいて、上は高天原(たかまがはら)に光りを放ち、下は光葦原(あしはら)の中つ国に光を放つ神が、ここにおりました。その故に、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎのかみ)は、そのお言葉によって、天宇受売(あめのうずめ)の神に仰るには、
「お前はか弱き女子ではあるが、向かってくる神に対して顔で勝てる神であるから、 お前こそが行き、そこで問うことは、 『私の御子が天降りする道に、誰がこのようなことをしているのか。』です」と仰りました。
 こうして、天宇受売が問うように言われた時、その答は、
「私目は、地祇(くにつかみ)で、名はを猿田毘古(さるたひこ)の神と申します。 このように出て参りました理由は、天津神の御子が天降りされるとお聞きしたので、その御前にお仕えするつもりで御目にかかるためでございます。」
 そこで、天児屋(あめのこやね)の命(みこと)、布刀玉(ふとたま)の命、天宇受売(あめのうずめ)の命、伊斯許理度売(いしこりどめ)の命、玉祖(たまのおや)の命、併せて五柱の伴緖(とものお)を支えに加えて天降りさせました。 ここに、取り寄せた八尺尺(やさか)の勾瓊(まがたま)、鏡、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)、そして常世思金(とこよのおもいかね)の神、手力男(たぢからお)の神、天石門別(あめのいわとわけ)の神を付き添えにしてお言葉をいただくに、
 「この鏡はひたすら私の御魂(みたま)として、我が御前に拝むのと同じく、斎きしなさい。次に、思金の神は御前の事を取り持ち政り事をしなさい。 この二柱の神は、五十鈴の宮に祭り拝みなさい。 次に豊受(とようけ)の神、この神は外宮の度会郡に坐します神です。 次に天石戸別(あめのいわとわけ)の神は、またの名は櫛石窓(くしいわまど)の神、あるいは豊石窓(とよいわまど)の神として、 この神は御門の神です。 次に手力男(たぢからお)の神は佐那那(さなな)県(あがた)に坐(ま)せ。」
 この故事により、天児屋(あめのこやね)の命は中臣(なかとみ)の連(むらじ)の先祖、 布刀玉(ふとたま)の命は忌部(いんべ)の首(おびと)の先祖、 天宇受売(あめのうずめ)の命は猿女(さるめ)の君の先祖、 伊斯許理度売(いしころどめ)の命は作鏡(かがみつくり)の連の先祖、 玉祖(たまのおや)の命者(は)玉祖(たまのおや)の連(むらじ)ら先祖です。

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