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古代史構想学(実践編2)

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継体天皇について、古事記、日本書紀などの史料や越前に残る伝承などをもとに、その出自を中心に第26代天皇として即位するまでの半生を考察してみました。8回シリーズです。
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記事一覧

継体天皇の考察⑨(最終回)

 前回の予告通り、この最終回では今年の3月に計画していた「継体天皇を探る近江・越前への実…

継体天皇の考察⑧(伝承の信憑性)

 前回の最後に書いた通り、ここでは継体天皇にまつわる越前における数々の伝承について、その…

継体天皇の考察⑦(越前での伝承)

今回は母の振媛とともに越前で過ごした継体にまつわる数々の伝承を紹介します。    日本書…

継体天皇の考察⑥(近江の豪族)

 継体天皇の父方は息長氏の後裔で、継体の曾祖父であり、応神天皇の孫である意富富等王まで近…

継体天皇の考察⑤(父方の系譜)

 継体天皇の母である振媛の母方は加賀の江沼氏、一方の父方は垂仁天皇の系譜にある三尾氏、そ…

継体天皇の考察④(越前の豪族)

 前回は継体天皇の母方の出自を確認する過程で、江沼氏や三尾氏、とくに三尾氏について詳しく…

継体天皇の考察③(母方の系譜)

 今回は継体天皇の母方、すなわち振媛(ふるひめ)の系図を少し詳しく見てみます。まず、前回も示した上宮記一云(じょうぐうきいちにいう)に基づく系図を示します。母方の系図は左側です。  母方系図冒頭の伊久牟尼利比古大王(いくむねりひこのおおきみ)は活目入彦五十狹茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらのみこと)、すなわち第11代垂仁天皇であるとされ、その七世孫として布利比弥命(ふりひめのみこと)の名が見え、これは振媛を指すであろうから、日本書紀の「振媛は活目天皇(垂仁天皇)の七世孫

継体天皇の考察②(継体天皇の出自)

 継体天皇の考察の第二回目です。今回は継体天皇の出自について考えます。継体の出自は、越前…

継体天皇の考察①(三王朝交代説)

 継体天皇についてはすでにブログで書いたのですが、それを少し編集しながらこちらでも発信し…