映画の先にあるヴィジョン。
こんにちは!
みまです。
妹が障害者の「きょうだい」として、きょうだいに光を当てることで、障害者の家族たちの葛藤や苦悩を描く映画を作り、それが比較的社会で高く評価されましたので、みまを「映画プロデューサー」として認識している方も多いかと思うのですが、私にとっては、
映画もまた、私のヴィジョンの手段でしかありません。
映画製作はこれからも続けていきますが、今日は、より壮大なヴィジョンの一部を綴ってみたいと思っています。
必ずしも「きょうだい」とか「障害者の家族」に限ったことではないのかと思うのですが、私が考える日本における一番の課題は、
「自分の人生を生きていない人が多いこと」
だと思っています。何やら、先進国の中では、一番多いみたいですよ。どっかの請け売りで、裏を取ってない情報ですけど。
そこに私は、一番の憤りがあるんです。
社会への貢献は、あなたがあなたの人生を生きることです。
あなたがあなたらしく羽ばたくことです。
それが一番社会にとって良いこと。
いろんな制約があったとしても、一番に幸せにすべきは、自分です。
自分で自分の幸せに責任を取る。自分の人生を自分でハンドルする。
そういう人を増やしたいんです。軽やかに生きている人、っていうのはそういう人です。
何があっても、誰かのせいにしない。自分のせいにしない。社会のせいにしない。ただただ状況を引き受けて、そこからより良く生きる方法を探す。時に何かに食らい付いてでも、自分の幸せを獲得するために動く。
そういう貪欲さを、この社会に取り戻したい。
そういう社会にするために、自分を謳歌でき、自分の情熱を解き放つ人を増やすために、情熱を解き放てない、自分を生きれない原因になっているものを取り除きたい。
その原因が、「社会の無理解」や「社会の偏見・差別」なのだとしたら、映画という手段がある。そう思って、映画を作りました。
でも、映画だけでは、自分を生きれない原因を完全にはなくせません。そこが、次に私がやっていきたいことに繋がります。
自分のことがわからない。自分が何がしたいかわからない。何かやりたいと思っても、「どうせ私には無理」と諦めてしまう。
そんな人を一人でもなくしたいからこそ、私の次の挑戦はあります。
かくゆう私も、かつて、自分の人生を生きれている感覚は全くありませんでした。
なぜか生きるのが辛い
自分の人生に向き合わないといけない多感なはずの10代に、自分のことより家族を優先してきたためなのか、
「自分が何を感じているのか」を真っ当に感じていたら生きていけない気がして、感じることを避けていたからなのか、
自分が何に辛いのか、何がこんなにも生き辛いのかさえ、よくわからないまま、とにかく、心が常にアップダウンを繰り返していて、心身ともに疲弊している状態が続いていました。
遂に、22歳の時、NYでパニック障害に
パニック障害になったときの体験は、「哀しさの嵐」が突如訪れて、感情を堰き止める防波堤が決壊したかのようでした。自分ではその感情をコントロール不可なほどに、その哀しさが溢れて大洪水=パニックになる、という風でした。
悲しみの渦に巻かれて足元から引っ張られて沈み込んでしまいそう。
その渦に抗わないでいたら、本当に私は、そのとき、身投げして死んでしまいそうなくらい、精神は危うかった。
何がそうさせているのか、よくわかりませんでしたが、
そのとき、日々、
と本気で思っていました。
今の私で出逢っている人から見たら驚きかもしれませんが、そのぐらい、当時の私は、自身の「負」の感情に、振り回されて、疲弊していたのです。
変化を体感するまで
そこから、自分を取り戻すためにしたことは、「感情の紐解き」であり、さらには、その後に出逢った、「ライフトレーニング」(私がそう呼んでいるだけ)でした。
日々の自分の感情の動きから、本当の自分を少しずつ紐解いて思い込みを手放し、自分にとって大切な価値観を見つけていく。
過去に味わいきれなくて消化しきれなかった感情を癒していく。それを日々、誰よりも一番長くずっと一緒にいる、他でもない自分で、自分を癒していける技術。
人は、1日6万回はしているとされる思考一つひとつが、過去の体験からの思考の「癖」でできているわけですが、かつての私は
という思考がぐるぐるしていたのですが、
それが、今となっては
という思考に180度変わりました。
日々の6万回の思考が、これだけ自分を信頼する内容に変わったら、
それは生きやすくなりますよね!
間違いなく、トレーニングの成果
これは、そう、トレーニングなんです。筋トレのような。
私は一昨年8キロのダイエットに成功しましたが、日々の食事の管理と週2回のトレーニングが肝でした。
今度は、現在、フルマラソン完走をコミットして、毎日、5キロ走ることを日課としていますが、そういう風に、少しずつの積み重ねで身体が変わっていく。「習慣」として身につけていくうちに、身体が変わるんです。
人は、突然は変わらない。
スポーツとか、楽器とかに置き換えたら、
よくわかりますよね。
突然、ピアノが上手く弾けたりしないし(超天才なら稀にいるかもですが)
突然、テニスが上手いとかもないし
あらゆるスポートも楽器も、トレーニング=練習が必要です。
特にね、思考癖ってなかなか、変わりません。
無自覚の領域ですから。人から見えませんし。
だから、日々、自分を見つめ続ける「習慣」が必要なんです。
軽やかに生きるトレーニングをしよう
自分の人生を生きている、と本人は思っている人の中にも
このトレーニングは受けていただきたいんです。
私もこのトレーニング法に出会った時、
そう思っていましたからw
だけど、めっちゃ思考には偏りがあって
偏屈だし傲慢だし、いつの間にか
「人に疲弊感を与えるあり方だった」と今になればわかりますが、
なんか、勝手に重たく決めつけている事柄って
誰にでもあるんですよね。
それを「あれ?思い込みかも?」ってのを外していく。
頭の中で考えていることを
よりあなた本来の自分が発揮されるよう、
不必要な思考を外していくと、
あら不思議。
軽やかに生きられるようになります。
辛いことも笑いに変える、強さができます。
強くなります。
人に頼ることができるようになってきます。
一人じゃ無いんだ、って思えるようになってきます。
少しずつ思考がシンプルになって
今までは、「自分へのブレーキ」に使っていたエネルギーが
人生を前に進めるエネルギーに転換されていきます。
結構、地味ですけど、効果抜群です。
実際に、その後、私自身がさまざまな過去の体験を克服し、自分を取り戻してから、1500人以上に関わらせていただきましたが、特別なスピリチュアルな能力などなくても、トレーニングを積めば、確実に自分の思考ぐせがとれていきます。
命名!ヴィジョナリーライフトレーニング
そんな「ヴィジョナリーライフトレーニング」を、2023年1月6日から、毎日!無料で配信します。
「ヴィジョナリーライフ」と名づけたのは、
・自分の人生ぐらい、自分で責任を持て
・自分のことぐらい、自分で幸せにしろ
っていう強気な思いは横にして
っていう状態は、
つまり、ヴィジョンを持って生きている、っていう状態なんです。
「自分の生き方の方針が決まっている」
ということと
「自分で自分を幸せに覚悟がある」
ということを持って、
ヴィジョナリーライフと命名してます。
(もっといい定義づけがあったら更新します。)
だから、世間に惑わされず
人に振り回されず
自分を貫ける
自分を信用信頼することができる
どんな自分もオールOKだと言える
結果的に軽やかに生きれる
っていうことに繋がった。
そんな公開トレーニングを、みんなで一緒にやっていきましょう!という提案です。無料ですよ。
というわけで、
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に覗きに来てくださいね〜!
トレーニングのやり方を1月6日の朝7時〜!LIVE配信します!
朝早すぎる?観れない?そういう方は、アーカイブを残しておきますので、後から好きな時に見てね!
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