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魚鱗癬経験談 プールが嫌いだった

今日も魚鱗癬の経験談を書きます☆

魚鱗癬で検索すると色々ヒットして知識を得れますが、魚鱗癬の経験談って改めてみるとやっぱり少ないなと思ったので毎回言いますが

このブログは書き続けていこうと思います☆

前回手が白くなるという事を書いたのですが、白くなる時は色んな場面でありました。

一番嫌だった思い出はプールでした。

その次は雨の日での自転車通学。

夏に大汗をかく部活(中・高)

バイトの時に洗い物をする時

社会人になり手袋等をはめて蒸れるとき

自転車通学

片手で傘を持ち、もう片方はハンドルだよね

両方とも雨で手が濡れる。学校に着くころには手が雨で濡れて白くなってるんだよね。

だからギリギリまで教室に入らない。ギリギリまで待っても手は乾かず元には戻らない

タオルで手を隠して教室に入る。

手が元に戻るまで太もも裏に手を隠す

夏の部活

汗をかきすぎると手がどんどん濡れて白くなっていく。

これは隠しようがない。

バイト

飲食店で働いてたため洗い物が必ずでる。

だいぶ高校にもなり知恵がついてきてるのでこの頃は手が濡れないように薄い手袋をして洗い物をするようになる。

社会人で軍手や手袋等をして仕事することがあったが夏は蒸れて手が部活並みに白くなる。

大人になりあまり肌の事を気にしなくなるが、やはり白くなりすぎると特に若いものが白い手を見て

「ほら、見て、あれ」等を言うので人間めんどくせえとよく思うようになる。

大人になるにつれだいぶ精神的にも強くなってますし、いちいち人を傷つけるような事を言ってくる奴に対しても力で押さえつけたり、大人になっても大人になりきれないクソなやつとか思うようになり弱気になる事はほぼなかった。

大人になってもそげなんこというったいw

逆に相手を笑うようになってた☆

ただ、俺の中でプールの思い出が悪いのは自分の肌に特に意識し始めた頃だった事と自分の手がものすごく気持ち悪いとショックを受けていたからだと思う。

親はこの肌の事を隠すし、一度

「なんで俺はこんな手をしとると?」と聞いた事があったのですが母はとにかくコンプレックスがあったからかその話は絶対しませんでした。

「そんな風に言わんと」というのが母の返しでした。

今、思えばきちんと話してほしかった。なんでなのかがわからないままが苦しくてしょうがなかった

たぶん俺の性格上受け入れてたはず。わかればすぐ切り替えれる性格なので^ ^とにかくわからないのがきつかった。

プールの話に戻りますが、何年生から手の白いことを気にしだしたのかは覚えてないのですが記憶にあるのは

小学6年生の時プールの時間

約1時間も入っていれば手はすごく白くなります。

とにかく誰よりも早く着替えていつも親から塗られていたクリームを持ってトイレに駆け込んでいました。

クリームを塗ったところで手が元に戻るわけではなかったのですが、とにかくどうにかしたかったんだと思います。

教室に戻ったらすぐ椅子に座って太ももの裏に手を入れて隠すの繰り返しでした。

今思えば気にするならプールに入らなければよかったんでしょうけど

当時は授業だから絶対でなくちゃいけないっていう気持ちがあったんだと思います。

今日の魚鱗癬写真は足の裏になります。

2回ほどブログでも紹介したグリセリンカリ液を塗る前と左足だけ塗った後のです☆

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こんな皮膚だけど皮膚科に受信したのは平成26年がはじめて

その時最初に診断されたのが掌蹠角化症でした。

わたくしの地元の有名な皮膚科です。いつも人が多いのでかなり大変。特に今はコロナがあるからさらに大変。

県外からも来てる人も。北海道から来てる人もいました。

受信の際に、先生から「掌蹠角化症は平成24年に治療法が見つかったから」と言われました。

中々、癖のある先生ですがw

癖はありますがズバズバっと色々言ってくれるので受信してるこちらとしてはすごく安心感があります。

あまり話を聞いてくれませんが(笑)

言ってる人はわかると思います(笑)

薬は定期的にはもらいに行ってるのですがなんか治るんだと思ったらすごい気が楽になって薬を塗るのを怠ってしまってるので

治りましたよ!って言えないのがちょっと残念

今回も読んでいただきありがとうございます☆


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