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夏への扉

実家に帰ってきているのでなかなか映画が観られない分、本をたくさん読んでいます。
アンソニー・ホロヴィッツの『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』。
市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』、乃南アサ『しゃぼん玉』。

そしてロバート・A・ハインラインの『夏への扉』。
映画化されるから読んでみよっかと思ったわけではないです。
子供の頃に母に好きな小説だと教えてもらって、いつか読んでみてねと言われていたんです。
それなのに私ときたら、外国の小説を読むのが苦手でずっとほったらかしにしてたんです。
だけど最近はアンソニー・ホロヴィッツや他にもいろいろ外国の小説を読むようになり、苦手意識も随分薄くなったので思い切って読んでみました。 

これはすごく面白かった。
普段はミステリーばかり読んでいてSF小説は滅多に手にしないんだけど、SF自体は好き。
一口にSFといってもまあいろいろあるわけだけどタイムトラベルもの、いわゆる時間SFは特に好きです。

まず文章が軽快で面白みがあってとても好き。
親友と恋人に裏切られて会社を追い出されるという酷い目に遭う主人公のダンだけど、文章のおかげで本人の不幸っぷりは薄まっている。
コミカルでちょっと笑っちゃうんだよね。

一番好きなのはダンと猫のピートとのやりとり。

「ウエアーア」
「落ちつくんだ、ピート」
「ナーオウ」
「何をいうか。我慢するんだ。首を引っ込めろ、ウェイターが来る」

「アルルオウルル?」と彼はいった。”一緒に戻っていって、二人を片づけてしまおうよ。あんたは上を、ぼくは下を攻めるんだ”という意味だ。
「もういいんだ、ピート。活劇は終りだ」
「アオウ、クムオーン!(てやんでえ)」

ピートは江戸っ子なのかなw
ダンとピート、この一人と一匹の関係がとても良い。
ダンはピートをペットだとは思っていないんですね。
あくまで対等なパートナー。
友達っていうのも違うんですよね、相棒って言葉がしっくりくる。

主人公のダンは本当にお馬鹿な人。
今この世界にもないような便利な機械のアイディアを次々と思いつき、それを実際に作り上げるほど頭が良いのに、後先のことは考えないし美人には極めて弱い。
賢いピートやまだ子供のリッキイにだってベルの本性はわかっているのに…
まあ、ピートとリッキイは本能的にこの女は嫌い!って思っただけなんだろうけど。
ダンは何にも気付かずに一人で浮かれてのぼせている。

「ダン・デイヴィス、そんなひどいことをいっておきながら、まだわたしたちの婚約が無事安全だと思っているのなら、あなたも相当のおばかさんね。ばかだとは前から思っていたけれど、それほどとは思わなかったわ」

ベルは辛辣。
でもこれでもだいぶオブラートに包んでいるはずです。

マイルズの家、いわば敵地へ思い立って乗り込んでいくのもそう、ベルの差し出す書類をろくに確認せずにサインしてしまうのも、寝起きのひどい格好でサンクチュアリに乗り込んで担当者に余計な不信感を与えてしまったこともそう。
なんだかいちいち不器用で、理性的に振る舞えずにストーリーの後半までは本当にやきもきさせられます。

ダンの一人称で語られるお話の中、何度も名前が出てくるリッキイが実際に登場するのはほとんどラストになってから。
2000年に目覚めた時、1970年でまだ子供だったリッキイを頼りにしているダンはちょっとどうなんだろうか…と思わないでもなかった。
ダンは大人なのに頼れる人間は11歳の女の子だけって、しかも結婚したかったなんて言い出すからちょっと引き気味だったんですよ。
リッキイは友人だったマイルズの義理の娘だし。
だけど二人の再会の場面を読んで、そんな気持ちは吹っ飛んだ。

「ダニイおじさん!ほんとに嬉しいわ、来てくれて」
ぼくは、リッキイにキスはしなかった。身体に手をふれもしなかった。ぼくは、子供を、やたらといじりたがるほうではなかったし、リッキイもふれられるのが決して好きな子供ではなかった。ぼくらの友情は、リッキイの六つのときから、こうしたお互いの個性と尊厳とを認め合うデリカシイの上に培われていたのである。

ピートとの関係もそうだけど、ダンはリッキイとも対等な立場で接していたんだろうな。
だからリッキイはダンを好きになった。
生き方は不器用でも、大人が子供によくするようにはぐらかしたり誤魔化したりすることなく接してくれたダンを好きになったんだろうな。
ピートもリッキイが大好きだってわかるこのシーンも好き。

ピートは狂うばかりに咽喉を鳴らして、ぼくの腕からリッキイの腕へと飛び移った。リッキイはピートをみごとに受けとめて、ピートのいちばん好きな姿勢で抱き、しばらくのあいだはぼくを振りむきもせず、猫語で挨拶を交わしていた。

思わず脳内で映像化してしまう可愛らしいシーン。
…猫語はどこで習えるんでしょう?

ダンがピートとコールドスリープに行ってしまうと聞いた時のリッキイの反応は切なかった…
ちゃんと聞き分けて、ダンから婚約指輪として大学の卒業リングをもらってぎゅっと握るリッキイ…
本当にいじらしい。
大人の男と11歳の女の子のシーンなんだけど、ちゃんとロマンチックで切なくて良いんです。
リッキイは十年間、ずっとダンを愛していて二人に会える日を楽しみにしていたんだと思うと…うん、本当にロマンチックですね。
愛です。

愛というものがストーリーの本質にはあるんだけれど、一方ではちゃんとSF小説でもあるんです。
去年、ハインラインの『輪廻の蛇』を元にした『プリディスティネーション』という映画を観たんだけど、まあこれが深く考えると頭が痛くなるような話でした。
確かにこの『夏への扉』へ通じるものがあった。

ダンは1970年12月4日にコールドスリープをして、目覚めたのは2000年。
2000年の世界を生きていたのに、タイムマシンでもう一度1970年5月3日戻る。
1970年12月3日にリッキイに会ってからまたコールドスリープをして2001年4月27日へ。

タイムマシンで1970年に戻ってきたのは5月のことなので、この時点から同じ時間にダンは二人存在することになる。
そのダンとダンは同一人物だけど、同じダンではない。
コールドスリープやタイムトラベルを経験していないダンをダンA、経験しているダンBとすると、ダンBの方が少し歳を取っている。
ダンAはダンBのことをぐるぐる追いかけて、言い換えればダンBはダンAの先を回る。
ダンBはダンAが構想中だったロボットを作り上げたり、コールドスリープから目覚めたリッキイを連れて行ってしまう。
ダンAにしてはそれがもどかしいことなんだけど、すべてはダンBの計画通りで、いずれはダンAもダンBの行く先に追いつくことになる。
この一人の人間がぐるぐる回る感じ、まさに『プリディスティネーション』に似ている。
結局ダンAがタイムマシンで1970年に戻った時点でダンBは独立して先行する形になるのかな。
だけどダンAの戻った時代にもやっぱりダンがいて、それはAともBとも違うからCということ…?
ダンは無限に増えていく…?
あれ、頭がごちゃごちゃしてきたぞ。

思えばダンA、Bが同じ時間に存在していたことは序盤から匂わされているんですよね。
マイルズの家の前に停めたはずの車がなくなっていたり、リッキイがサンクチュアリからどこかの男と消えていたり、ダンしか知らないはずのロボットがアイディアそのままに現実に存在していたり、トウィッチェル博士がダンを初対面だと思っていなかったり…他にもたくさんあるんだろうな。
この辺は本当に上手く構成されている。

あとは未来の世界である2000年の描かれ方にとてもわくわくしました!
作中でもハインラインの執筆当時でも30年後の未来ですよ!
今は2021年、30年後の2051年のことが想像できますか??
スマホはまだあるのかな?
車は何を燃料に走ってるのかな?
ガソリン車はもう完全撤廃されていそうだな。
自動運転が当たり前になってるのかな?

30年後の映画はどうなっているかな?
それにアニメはさぞ素晴らしいものになっていると思う!
アニメーターさん達の待遇がもっとずっと改善されていますように!
私は未だに少年の心を持つ少年ジャンプ読者だけど、未来のジャンプはどんな人気作品を生み出しているんだろう?
鬼滅やワンピースを超える逸材は現れましたか?

世界情勢は?環境問題は?
気になることは山積みです。

作中の世界は現実世界とは違う方向に技術が発達した世界なんですよね。
1970年にしてコールドスリープが一般的なサービスとして認知されている。
ダンの作った文化女中器!(字面に時代を感じるし表現としてもどうかとは思うけど、それは置いといて)
あれはルンバだね。
動力が切れそうになると、自動で所定の置き場に戻る…まさにルンバ。
うちには窓拭きウィリイが欲しい。
窓拭きだけじゃなくバスタブ、トイレも磨いてくれる素敵な機械。
ハインラインもこういう架空の機械をわくわくしながら考えたのかなと思うと微笑ましいのです。

2000年の生活に慣れてしまったダンがもう一度1970年に戻った時の不便についての記述も面白かった。
2000年の世界では髭剃りは自動らしい!
雨に降られても服は濡れない!
料理をいつまでも保温してくれる皿、決して汚れないシャツ、あとは二度と歯医者に行かなくていい歯科治療があるらしいですよ!
…ハインラインさん、2021年の現在でも実現していないことの方が多いです。

母と同じく私にとってもとても好きな本になりました。
長々と書いてしまったけど、最後に心に残ったダンの言葉を書いておきます。

誰がなんといおうと、世界は日に日によくなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。

何年後の未来、と言われると、明るいこと、楽しいことを想像する人が多いんじゃないかな。
30年後、とピンポイントで言われるとあれはどうなってるこれはどうしてると無責任に想像しがち。
だけど30年後も100年後も現在と地続きになっているもの。
遠い未来にも自分は無関係ではないんですよね。

よりよい世界になってますか?
人間は平和に幸せに暮らしていますか?
そう訊かれているようで、私は最後に複雑な気持ちになりました。




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