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ああ、気づいちゃった。

私は常々、
「表現したい」と言ってきた。

表現するのが好きな人で
表現したその瞬間こそ
私にとっての快感なのだと。

でも、どうやら違うらしい。

純粋に表現を楽しむ人と
私のテンションは何か違う。

比べてみて、分かっちゃった。

私は表現そのものに、
自分の使命みたいなものは感じない。


私の表現を”通して”

人に「動く力」を届けたい。


動く力。

それは、私が抱くビジョン、
世界に”こんな人”を増やしたいという想い、
そんな人物像へと、自ら動いてもらえる力だ。

だから私は、思考を挟んでしまう。
だって、伝えることを通して、
生まれて欲しい「動き」があるから。

そこに罪悪感があったけど、
「表現」というステージから降りるなら
思考をたっぷり挟んでもいいよね?

あ、私の「思考」は
愛でできてるよ、ご心配なく。笑

だから私は、「表現」から降りる。

これまで、純粋なる「表現者」を見て
モヤモヤしてたのはこれだったんだな、と
納得している。スッキリ。

ただね、 
「人生推し」としての表現は続けたいかな。
これは、まだ、人に意図して伝えられるほど
言葉になっていないし、形になっていない。

私が心の感覚で発見したものを
3次元に降ろすには、やっぱり
言葉での表現が必要なのです。

そこだけは、まだ自分に
「表現者」であることを許す。
でも、使命や資質や本拠地でないことは
理解しておこうと思うんだ。

そうじゃないと1番自分がしんどくなりますわ。

自分の場所で輝く。
私は私の波に乗る!


ここは何とも
頭の整理に完璧な場所だなあ。

「表現」とも、
「ビジョンを形にするための言葉」とも違う。
ありがたい場所です。


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