狂犬病をまた考える③"ほとんどがイヌから"?
前回は、狂犬病予防の選択肢として、抗体検査による免疫力のチェックを加えるべきだと考える理由をご紹介しました。発症した場合の致死率がほぼ100%という怖い病気に対して、もっと効果的で、かつ、愛犬にとっても安全な予防につながるはずです。
今回からは、イヌに限定したワクチン接種が、現在の日本で本当に妥当で充分なのかを考えてみます。
「ほとんどがイヌからの感染」という表現
世界保健機関(WHO)や国際獣疫事務局(OIE)などが発行する文書に、人間が狂犬病に罹る場合「ほとんどはイヌから」(のウイルス感染)といった表現があるのは事実です。ごく一部の抜粋ですが、こんなことが書いてあります:
で、「だから日本でも、イヌ(だけ)への狂犬病ワクチン接種は必須」という趣旨の意見を、SNSやメディアなどでよく見ます。多くの場合、一次診療の獣医師(匿名アカウントを含む)がとても断定的に主張しています。
ここからは個人的な見解になりますが、WHOやOIEの表現は「狂犬病のまん延地域ではイヌによる感染がほとんど」ということを象徴的に表現したものではないでしょうか?
WHOやOIEが「イヌが原因」とする背景
WHOなどの国際機関は全世界を対象に活動しています。4月12日付の「現代ビジネス」に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)用のワクチン接種に関してWHOが出したステートメントを解説する記事が載っています。狂犬病とは直接関係ありませんが、WHOという組織のスタンスに関しては参考になると思います。(※ コメントしている方は時折発言に賛否が分かれる人物ではありますが、WHOの役割については正確なご説明だと思います。)
この「95%」とか「99%」という数字について、スイスのWHO本部に直接問い合わせてみました。根拠となる数字(つまり分母と分子)は、データベースにあるとのことです。
WHOは、およそ200か国におけるイヌから感染した狂犬病による死亡者数をまとめたものを公開しています。データが存在する国の中で2021年の犠牲者が100人を超えているのは、中国、インド、ケニア、フィリピン、ミャンマー、インドネシア、ベトナムです。その他、東南アジアやアフリカ、中東地域の国々が続きます。
イヌからの感染が「95%を超える」とか「最大で99%」と言うのは、少なくとも計算上では犠牲者が圧倒的に多いこうした国々の数字と言えます。(ほかの国々に関しては、数字そのものがないんだから。)
精度の高いデータは存在しない
このデータベースですが、2022年11月28日にアップデートされた最新の2021年の統計では、“0”も含めてデータが入っているのは35か国のみ。そのほかはすべて「No data」となっています。
WHOの文書には、「毎年、世界中で6万人ほどが狂犬病で亡くなっている」とあります。と同時に、こうも書かれています:
WHOが言いたいのは、もっと多くの犠牲者がいる「可能性が高い」ということでしょう。「significantly under reported(=著しく過少報告されている)」や「estimate(= 推定)」などの表現もあり、犠牲者の数は正確でないことが随所に注記されています。
もちろん推定値とは言え、ある程度の信頼性は確保された分析値でしょう(WHOによると“Probability Decision-Tree Model”を使用した推計値とのこと)。でも、WHOでさえ正確な数字は掴めていないのもまた事実です。
「ほとんどがイヌ」を日本に当てはめる違和感
それから、WHOの文書で、「more than 95%」(95%超)と「up to 99%」(最大99%)と表現が異なっています。2つの表現を統合すると、95<n≦99% なので矛盾はしません。でも、正確な統計値としての数字であれば、こういった表現の違いは無いはずです。
これまでご紹介した3つの要素:
データが推計値である事
計算根拠となる数字のほとんどが狂犬病まん延地域のものである事
WHOの役割が全世界、主に途上国を対象にしているという事
から考えると、「99%までがイヌからの感染」という表現をそのまま現在の日本のあてはめるのは無理があるように感じます。個人的な印象であり、医療統計や疫学などの知識がないため数値的な検証はできませんが、みなさんはどう思いますか?
ホントに犬だけ?
人間の一番近くにいる動物が犬なのは
日本でも同じだから、当然
接触 ≒ 感染の機会は
多くなるだろうけど…
ちなみに、狂犬病の犠牲者が多い中国、インドネシア、ベトナムには貧乏旅行で滞在したことがあります。街中や観光地、生活エリアなどあらゆる場所にノーリードの犬が沢山いました。
前回ご紹介したように、帰国後にPEP(暴露後ワクチン接種)を受けたのも、ベトナムで犬に噛まれたからでした。インドには行ったことはありませんが、TVで観たり友人の話を聞いたりすると、やはり野犬(や放し飼いの飼い犬?)はとても多いそうです。
狂犬病予防法が施行された昭和25年の日本も、同じような環境だったのだろうと思います。でも、現在の日本にその考えを当てはめるのは論理的でないと感じます。
しつこいですが、
ホントに犬だけ???
タンザニア?
このほかに、グラスゴー大学(英)などがアフリカのタンザニアで行った調査結果を根拠に、日本でも「イヌ(のみ)へのワクチン接種が必要!」とする一次診療の獣医師が一部にいるようです。社会環境を含めあらゆる点でまったく異なるタンザニアのケースを、そのまま日本に当てはめるのは乱暴な印象を受けます。さすがに、獣医学や疫学の"研究者"でそうした主張をする方はいないようですが…。
人間に最も近い動物だからこそ、地域によって関係性や文化的な背景は大きく異なるはずです。特にタンザニアと日本では違いはとても大きいはず。(行ったことがないので断言はできませんが…。例えば、イヌに次いで狂犬病の感染源として多いジャッカル、日本には動物園にしかいませんよね。)
そうした地域差が、感染源との関係にどのように影響するかの分析はとても重要なはずです。タンザニアでの調査結果をそのまま日本に当てはまる(かのような)表現は、いかがなものかと私は思います。
ということで、次回は狂犬病の感染源としてすべての動物の中でイヌが一番少ないアメリカの例をご紹介します。