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射幸心とお金

どうも、国産在日日本人の膣圧です。

食って寝て起きてバイトしてゲームして食って寝て起きてバイトしてゲームして食って寝て起きてバイトしてゲームして食って寝て起きてバイトしてゲームして食って寝て起きてバイトしてゲームして食って寝て起きてバイトしてゲームして

そんな毎日を送っているわけでして、なにかイベントごとに書こうと思っていたnoteも暇すぎて、とりあえず記事作成を押してなんとなく書いている有様です

こんな私にも、今度高校時代の友人たちと取り立ての免許で海に行こうと言う話があり、心が踊っています。

ウキウキである、嗚呼神よ、これがトキメキか

まさに幸せの上り坂、その日を夢見てこれから何日かは生きていこうと思う。

こういうイベントのたびに幸せの頂点は当日ではないということを実感する。幸せはなにものの邪魔も受けず、摩擦のない状態でのみ加速する。当日はどうしても目的に対して行動するという摩擦があるため、人間ならば誰しもが多少めんどうくさくなるのである。片思いの方が楽しい理論やお風呂に入ったら楽だが入るまでが面倒理論に近いものがある。

この摩擦は課題や、親からの重圧感、人間関係の悩み、今日自分が言ったことは変ではなかっただろうかという反省など様々だが、ひどい時は幸せを止めるだけでなく、後ろに引き戻してしまう。

幸せなんてものは所詮グラデーションなので、ここからが幸せ、ここからが不幸せという境界はない。気づいたら幸せ、そういうものである。

一杯200円の缶チューハイで幸せになれる私は、こんな安いもので幸せになれるなんて単純な人間だな、と思うが、ホストに金を積んで若い男に自分の肉壺を8時間も舐めさせて気絶させなきゃ幸せになれないような奴よりはましだろうと、心の中でコスパが良くてよかったと多少の優越感に浸っている。

幸せというのはどんな聖人にも、凡人にも、悪人にも、常に平等な大きさで訪れる。

大きさの同じものにわざわざ高い金を払うことはバカバカしいと思っているが、大学生になって気づいたのはこの金額の差は幸せの時間の差なんだということ。

幸せは長い間浸っていると、一瞬の幸せに比べて計り知れない多幸感に包まれる。そりゃ一瞬しかないものに包まわれることはできないので当たり前だが。

物理の力積のようなものである。

缶チューハイだけじゃ幸せの期限はせいぜい3時間、切れたら買い足し、切れたら入れ直す。結局金もかかっている。

パーキンソンの法則というものがある。

収入が増えると自然と支出も膨張するというものである。つまり、年収500万で暮らしていた家族が年収1000万になったところで500万の貯蓄はできず、支出が膨らむためあまり変化はないということだ。

いままで、200円の缶チューハイでの幸せしか知らなかった人が、大学生になって、知見が広がりいろんな世界を知ることで期待が増え、欲望が広がり、そこにかかるお金も多くなっていくのである。

それでもやっぱり、早朝の小鳥のさえずりや、なにげない友人との会話や、意中の相手との触れ合いにこそ価値を見出すべきだという人もいるだろう

私もそう思います。

だけど、私は自然や人間同士の関係性に幸せを見いだせるような人生を送ってこなかったうえに、金もないので、今晩(6時)もコンビニで買ったまずい缶チューハイとつまみのチューブワサビ相手に幸せを感じていたいと思います。

皆さんにも幸せが訪れますように

ざーめん

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