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押入本棚とピアノ

身体が熱く重く。喉は焼けるよう。
力の入らない四肢。文字をおう眼も霞む。

雨音が優しいのは春だからだろうか。
雨戸を伝い、暗い下水になる様を思う。

この家の客人になって3年が経った。
家具も家電も所々入れ替わり、模様替えもされ
私の部屋はもうない。
年に数回貸される部屋は、本棚とピアノだけがある。押し入れを埋める本棚。誰も弾かないピアノ。

家を出た私と弟は、時折自分の本を今の住処へ持ち去る。どうせ数年おきに引越すのだから、読み終えている本など置いておけばいいのだが、まぁ本とはそういうものだ。

ピアノは私と妹が習っていた。私は下手で叱咤され泣きながら弾いていた。私にはこれっぽちの音楽の才もなかったようだ。それでも今となればピアノがこの部屋にあることを嬉しく思う。何故かは上手く言えない。まぁ、幼少期の相棒とはそんなものだ。

在ることに意味がある。
変わらないでいることはできない。
でも在ることはできる。
私が変わっていくように、この場所も変わる。
縋るように面影を探し、変化を慈しむ。
在ることができれば。

変化の先には無があることを知っている。
私はそれがとても恐ろしい。
生とは老いであり、
老いは喪失の先に死を迎えている。

私を構成した万象が、いつか私より先に喪う。
その変化すらも、愛せるだろうか。
理屈をこけば、それら万象は私自身となり、
まるきりに喪ったのではなく、形をひとつ減らしただけだと言えるかもしれない。

けれど観測可能な客体としてずっと在って。
私を構成した全てに、私より先になくならないでと、駄々を捏ねて咽び泣く私がいる。

思えば、余りの恐ろしさに潰れてしまう。喪うという体験をしたくないが為に、今先に自分を終わらせてしまいたいと駆られる。

考えなければ、それはあまりに自然な事だから忘れてしまえる。当たり前のように飯を食い、酸化する日々を送れる。

電気を消すと時計の針の音が、聞こえるようになった。雨はまだ細く降っている。