見出し画像

まさかの不登校①序章


2020/11/11忘れもしない記念すべき不登校の始まり。
いつも早めに出勤して色々準備してる中、携帯に長男から電話

長男「無理、学校行かない」

母「ふざけんなてめー!」 ガチャッ

横に居た後輩ビックリの瞬間。

心情穏やかではなく、仕事どころじゃなかったけど、まずは落ち着かなきゃ。大丈夫、落ち着け落ち着け。同じ年頃の子供のいる上司に話し、今後何をすべきか、ちょっと見えて落ち着いた。たまたま午後休だったこともあり、そのまま市役所に向かう。40分程度話すが、これといったサポートやアドバイスもなく、ただただ向こうさんは話を聞くだけ。・・・はて?何のための役所なの?と思い、

私「いったいここは、こういったケースで何をしてくださるのですか?」と聞くと、

市役所「え、えっと、学校のスクールカウンセラーに連絡とりましょうか?」

・・・もうえぇは、そんなもん自分でできるわい(-_-) 行くだけ無駄だった。所詮行政、そして役人なんだなぁと思った。私の貴重な40分が無駄に。

帰宅して話を聞くが、手がかりや決定打になる出来事は分からず。まぁ親には話さないよな…
その後、学校のスクールカウンセラー、思春期外来…どれもピンと来なかった。でも話してて、そうか!と見えて来たこともあった。
そしてネットで色々調べて、取り寄せ出来る資料は取り寄せ、不登校についての本も読み、サポート校見学とバタバタ動いた。倒れないようにしっかり食べて、サプリも飲んで猛烈に動いた。

サポート校は長男もしっくり来たようで、12月から体験を受けると。
問題発生から2週間は、学校行って欲しい気持ちと、焦らなくても色んな道があると言う気持ちの葛藤で自分の軸もブレブレ。でも考え直して、社会に出る22歳まであと8年もある。それまでに社会性、対人スキル、ストレス耐性(これは私が1番大事と思う事)を8年かけて長男のスピードに合わせながら親として出来ることをすれば良い、と自分自身が落ち着く事で、長男への対応も落ち着いて出来る様になった。親が落ち着かず、こうじゃなきゃいけない、何とか学校に行かせようとしてる時は親も子供も苦しいだけだった。


今は認知行動療法に興味を持ち勉強しようと思うし、この際臨床心理士の資格も取ろうかとも思う。転んでもタダじゃ起きない自分もいる。
子育てしながら実は自分がその事で勉強させて貰い、視野が広がっている。こんな事も前向きに楽しもうとしてる。この際長男と楽しめば良いじゃんと。まぁこれから次男が何かあったら兄ちゃんだけズルいってなるだろうなぁ、その時の対策には悩むだろうな、きっと。

今思うこと、3歩進んで2歩下がる!それでも前進する。それで良い。

今後は思春期外来での出来事、カウンセリングの中身など綴っていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?