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命日



先日、夫の命日を迎えました。
夫が亡くなって1年が経ちました。

この日を迎えるのに
2ヶ月前くらいから命日反応があり
少しずつ冬から春に、暖かくなっていくたびに
気持ちが落ち込んでいました。

この1年をどう言い表したらいいのか
振り返ったところでうまくはまる言葉もなく、
夫はいないのに日常は続いていて
なんで私はここにいるんだろうと
急に自分を客観的にみていることが多かったです(メタ認知と言うらしいです)

意外にも命日当日はあっさりと過ごしました。
というより何も考えず、昨日と変わらない1日だと言い聞かせて過ごしました。

それより2月3月の季節が変わっていく頃の方が心が落ち着かず、何をしてなくても涙が出てきたり、反応が強く出ていたように思います。


1年の間に夫の死と、息子の誕生があり、
私の人生って何なんだろうと今もずっと考えています。

私の人生の課題は、
この私の運命を許して受け入れることなんだろうと思います。
遺された人たちの一生の課題だと思います。




悲しみは時薬であると感じます。
毎日が嫌で仕方なかった日から
明日はこうしよう、
来月はこうしよう、と
希望を持てるようにもなりました。

確実に成長してる子供たちの存在も
日にちが経っていることを教えてくれ、
心を癒してくれます。

一方でやはり子供の成長を見て、
こんなとき夫ならどう言ったかな、と
考えないことはありません。
きっとこれも一生続くのでしょう。

でも子供たちに笑いながら話せる日がくることがわかるようになりました。
いつになるかわからないけど、
いつか、パパってこんな人だったよって
話せたらそれでOK
話せるようになっておきたいです。

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