『違国日記』



『違国日記』というヤマシタトモコさんの漫画がとても良いので、お話させてください。

〜あらすじ〜
中学生の朝(あさ・名前です)は交通事故で突然両親を失います。
その朝を引き取ることになった叔母にあたる槙生(まきお)は、人付き合いが苦手で人見知り。
勢いで2人で暮らし始めることになり、不器用に歩み寄っていくストーリー。

『違国日記』ヤマシタトモコ /祥伝社



この槙生が言うセリフが、ハッとさせられることが多い。


私自身も夫が亡くなってからは
何をどう考えるのが良いのか、とか
こんなこと考えるのは酷いのかな、とか
私の考えは普通じゃない、とか
正解を求めてずっと考えていた。

以前のnoteにも書いたけど
感情がコロコロ変わるのが
自分でもどう受け止めていいかわからず
悩んだこともあった。

今もまだまだそういうことはあります。


この『違国日記』の槙生は
思春期の多感な時期に親を亡くした朝を
不器用ながら励まし(?)たりしている。

中でも印象深い言葉を一部ご紹介。

あなたの感じ方はあなただけのもので
誰にも責める権利は無い
それに誰も 絶対に
私と同じようには悲しくない

わかる。わかりすぎる…。

誰も私の悲しみと同じだけの悲しみは持ってない。

でも私の悲しみも理解してもらいたい時もあるし、
誰かがつらい時はそのつらさをわかってあげたいと思うことは誰にだってあると思う。

だからこそ人は歩み寄って話し合って
わかろうとする努力を諦めない必要がある。



『違国日記』というのは
槙生が朝に「日記でも書いたら?」と提案することから付けられたのかなと思うけど

不器用な槙生の言葉を「なんでそういう言い方するの?ちがう国の言葉みたい」と朝は言います。

人は個々にその人の国(世界)があって、
それを分かりあったり、
逆に他人なんだから分かりっこないって思ったり、
期待したり、期待に応えられなかったり、
…人と人が繋がっていくのは本当に難しいですね。

この先 誰があなたに何を言って
誰が何を言わなかったか
あなたが今何を感じて何を感じないのか
…いつか悲しくなった時
それがあなたの灯台になる

私もいろんな人にいろんな言葉をかけてもらったけど、そのほとんどが暖かいものだったと思う。

これから子供たちがパパがいないことを認識して、誰かに何かを言われるようなことがあったとき、
もちろん親として寄り添いたいけれど
きっと乗り越えるのは子供たちなんだろうなと、
漠然と将来のことを考えた。

パパいないけどそれがどうした?
くらいに幸せにしていくつもりだけど。



こんなストーリーだと思わず
最初の方は無料だしって身構えずに読んでたのに
途中から忘れないようにスクショするようになってました。

朝や槙生自身だけでなく、
朝の友達、朝の友達のお母さん、
槙生の恋人、槙生の友達、
いろんな人の立場のいろんな考え方があって
それがリアルに書かれてて
共感できるし胸に沁みるしオススメです✨

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