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次のステージへ

実は、死別を経験した方と関わりを持つために
Twitterで匿名のアカウントを作って
つぶやいていました。

なんでそんなことをしようと思ったかと言うと

知り合いに夫のことを打ち明けると
大抵の方は心配してくれて話を聞いてくれるんだけど、
話しながら、
この人はこんな経験したことないのに
心配してくれて、
心配してくれてるのはわかるんだけど、
そう言うしかないよな…
という冷めた考えを持ってしまって、

同じ境遇の方と話がしてみたい

そう思っていました。

つまりは心からの共感が欲しかったんです。

「大丈夫?」「大変だったね」と言われても
素直に受け取れなかったんです。
ひねくれていたなと今では思います…。



Twitterには私と同じように
妊娠中に旦那さんをなくした方、
病気で旦那さんをなくした方、
親を亡くした方、
お子さんをなくした方、
恋人を亡くした方、
様々いらっしゃいました。

同じような境遇の方と気持ちを共有できたり、励まされたり、励ましたり、
共感してくれることがこんなに嬉しいことなのかと感じ、
私の居場所はここだったんだ、とまで思ってました。


積極的に話しかけたりつぶやいたりする方ではなかったですが、
土日に子連れのパパの姿を見るのが辛いだとか、
去年の今頃は夫とこういうことをしたとか、
なんでいないの、と嘆いたりだとか、
とにかく思ったことをパッと書いてはツイートし、
コメントが来たらひとりじゃないって思えたのがその時の私の支えでした。


そうやって日々を過ごして半年くらい経ち、
少しずつ違和感を抱くようになりました。

毎日毎日こんなことをつぶやいて
これはいつまで続くんだろう?と。

大切な方を亡くして何年経っても
私と同じようにツイートされてる方も、
自分自身を責めて立ち直れないでいる方も、

ついこの前までは
励まし合って毎日頑張ってこれたけど、
急に、上手くは言えない違和感が出てきて
少しずつTwitterを離れるようになりました。


きっとあの頃の、
夫がいないという現実をひとりで生きるより
匿名で励まし合うSNSの世界を生きる

この段階を終わらせる時期がきたんだ。


誰に心配されても
誰に励まされても
乗り越える、受け入れるのは自分自身なんだ。


これはひとつ、私なりに死を受け入れて
今いるステージが変わった、
いわゆる卒業なんだろうなと感じます。

それでも夫のことを考えない日はないし、
忘れたわけではない。
時間が少し経って、
その時間が私の心を癒してくれたということなんだろう。

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