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失敗してもいいから、とにかくやってみる。

直感というのは結構当たるもので、今、ここだ!というタイミングがある。

意外に、考えに考えた結果と、サッと決めてしまった結果と、そうそう変わらず、考えている間に、やってみて、何だったら、サッサと失敗も経験して、そこから学ぶ方が早いような気がしている。

成功者の共通点として、たくさん失敗していること、がよく挙げられる。

私は、若いころ(今もかな?)、本当に失敗することができなかった。逆に失敗するのが嫌で、身動きできなくなることが多かった。

でも、経験もたくさん積んで、特に教員になったことが大きいのだけれど、もう、何度も失敗して、何度も恥ずかしい思いもしなければ、学びもないし、成長もない、ということに気づけた。

最近では、とにかくやってみて、それがうまく行くかどうか判断して、そして、また、進んでいけばいい・・・、と考えるようになった。

失敗知らずも怖い。

ある程度の年齢まで失敗せずに来てしまって、ある日突然失敗したとしたら、対処法もなく、ただ、感情的に、周りがうまく行っているような気がして、周りを羨ましく思ったり、果ては嫉妬の感情に振り回されたりするかもしれない。

大学受験指導とお付き合いしている身としては、対象とする生徒さんは、当然、もっともこれからの人生に希望を持っている時期だし、成功、失敗ということに敏感になっている姿とお付き合いすることになる。実際、生徒たちは、「隣の芝生は青く見えるんですね!」と語っていた。教師が思うより、周りがよく見えているらしい。

で所詮、誠実な努力に勝るものはないと実感する。

努力も、ベクトルが合っていなければ、無駄になることも多いので、そこはしっかりチェックを怠らないようにしなければ、効率悪くもなるだろう。でも、努力が同じものであるとして、その先にあるものは、変な言い方だけれど、日ごろの言動に依ることが大きい。

おかしな合格をしてくる生徒さんが、必ず数年に一回はいらっしゃる。

それも、大幅に合格最低点を上回って、とかいうのではなくて、あと数点足りなかったら落ちていたのに、たった一問の差で合格した、などという生徒さんの場合、もう、そこの大学と縁があり、その大学に進学することが運命づけられていた、と思わされるようなことが多い。

他は落ちてきて、わずか数点で、最も難しいと思われる大学に合格される場合。

高校に進学するときには、あっさり、もうワンランク下の高校に進学すると思っていたのに、高3の受験時に、周りの子よりもできたわけでもないのに、なぜか合格する場合。

苦労の末、なぜか補欠入学として、引っかかってしまう場合。

でも、大抵、そういうことが起こってくる生徒さんって、いつもの言動が、どこかそういう不思議な合格に納得させられる方なところがある。

一言で言えば誠実。裏表がない。あるいは、周りの人間を傷つけたりしない。

おおよそ、その性質には共通点が感じられる。

それに、その子が合格して、周りからも、精一杯の祝福を受けるような生徒さんである。

私もどこかで、あの子ならなあ・・・。

と思わされる。

いつも生意気なことばかり言って、周りを困らせたり、自分だけよければいい、などと思っている生徒さんではない。

そういう意味ではご家庭での教育も大切だと思わされる。

人間性の高い生徒さんにはそれだけ素敵なこともある。ウソがないから自信もあって、変にやましいこともないから、安心して前に進める。勉強できる。

だいたい、ウソがあればあるほど、頭はつじつまを合わせようとして、いろいろ考えなければならないので、疲れてしまう。

肝心の頭を使わなければならないところで、働かなくなることもあるだろう。

一途に、その場所に向かって努力できるということはとてもいいことだ。

今年、やはり、過干渉は良くないなあ、と思わされた。

親だから心配になるのは当たり前である。

でも、先に先にと、親が手を出して子どもたちに、失敗しないように、転んで傷つかないようにすれば、なぜか逆説的に、成功への道が遠ざかるような気もする。

失敗させてあげる勇気も必要だと思う。

失敗から学ぶこともたくさんあるから。

仮に成功したとしても、自分でどうやればいいのかわからなくなることもあるだろう。

自分で思考錯誤して得たものは強い。

ただ、高校生活にも限りはある。

適切に、人の力も借りながら、でも、まっすぐに生きていくということは大事だなあ、と思っている。


それから、人生はいつからでもやり直すことができる。過去も、今の自分がしあわせになれたなら、しあわせなものに塗り替えることができる。

自分の母校の値打ちを上げもし下げもするのは自分。

思ったほどに、自分の人生に、母校の縛りがあるわけではないし、思うほどに母校は何もしてくれない。

せいぜい、同窓会に出てみたら、ひょんなことで、仕事が降ってくる・・・、ということは有ったけれど、それは、母校のためではなくて、卒業してからの、仕事上での実績があってのことで、何にもしないのに、母校が何かをしてくれることなどない。

まあ、何かの試験を受けたい場合に、登録すれば、その試験の割引を、卒業生として、いくらか受ける程度のことだろう。

としか思えない。

いつまでも、若いころの受験結果にあれこれ思うより、自分の学校になった、その学校で、精一杯頑張って、そして、自分が母校の値打ちを上げられるように人間になったらいい。そうすれば、どれほど、母校の力が影響しているか自ずとわかってくる。なにより、母校を愛することのできる人間であるほうがいい。

仕事をしなければ、母校のおかげで打順は早く回って来ても、できなければ、母校の値打ちを下げてしまう。もし、意外に打順が遅くても、仕事ができれば、母校の値打ちも上がり、後輩の人生も明るく照らすようになるかもしれない。

高校時代、いろんな経験をすればいい。

大学時代もたくさん経験すればいい。

たくさん泣けば、優しくもなれる。

たくさん頑張って、成功をつかみ取れば、自分を信じることができる。

失敗も成功も、たくさん経験すればいい。


今年、ササッと進路指導した大学に、見事合格され、嬉しそうに、その大学に入学するのを楽しみにして、生活の準備を始めている生徒さんがおられる。彼女の受験校を決めるとき、もちろん、あれこれ考え、そして勘も働かせたけれど、結局、一番いいところになったような気がしている。お友達などのご縁もあって、どうも、そこに入学することが決まっていたかのようである。

さてさて、これからどんな4年間を過ごされるのかな?

私の方が楽しみにしていたりしている。

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