なぜアイドルに金を払うのか

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2020/12/24/000000

古谷利裕が、完璧さを求めるK-POPもそれはそれでいいが、隙だらけであることが許容される日本のアイドルシーンまでクオリティー競争になってほしくない、というようなことを言っていた。

《アイドルというのは、「みるべきところが一つでもあればそれ以外の欠点は基本的に受け入れるという態度」によって成り立っているもののことではないか(それは、ファンもまた、他者から---社会から---そのような態度で受け入れて欲しいという願いの反転かもしれないが)。この場合、「みるべきところが見事に一つもない」ことが唯一の「みるべきところ」だということさえも成り立つ。このような文化が、(日本ローカルであるとしても)資本主義のもとで成り立っているということが貴重なのではないか。》

日本のアイドルは恋愛対象だから金を払うのであって、クオリティーに満足して払うわけではない。その対象が存在してくれているから金を払う。対価でもない。有り金をつぎ込む。いつかクオリティー競争になって、K-POPのような世界になってきたら、もうアイドルとはいえないのではないか。

労働の対価として金を支払っているわけではないから、資本主義のもとに成り立っているともいえない気がする。

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