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アンチ多様性の尊重

お世話になっております。なゆたと申します。

最近、兄弟でドライブに行くことが好きで度々出かけるのですが昔から大好きなお台場に行くことがあります。

お台場にはフジテレビやテレコムセンターなど様々な名所がありますが、ダイバーシティ東京プラザというものがありますね。あそこはなんでもあってとても楽しい最高な場所ですよね


ダイバーシティで思い出しましたが、多様性という言葉が流行り言葉のような用いられ方をして久しいですね。

それ以前では人類画一化計画が水面下で進行していたかのような空気感だったので、大きな時代の転換点だったと思います。

そのおかげでいわゆるセクシュアルマイノリティと呼ばれている方や障害者観の変化があり、パートナーシップ協定やパラリンピックの放送枠が少し拡大したりと、いい影響もありました



しかしそれに隠れて目を伏せたくなるようなことも出てきています。

一般層にADD/ADHDなどの名前が浸透してしまったことにより、身近な人を巻き込んでなんでもそれに分類しようとする人や、

レインボーパレードにならって、性的指向を公表するのが正義だとして根掘り葉掘りプライバシーを探ってくる人など、

わざわざ口を挟んでくる無関係の外野が増えてきています。


そして多様性という言葉はその無関係の外野たちが勝手にカテゴライズして納得するための道具に成り下がってしまいました。


カテゴライズされることによって、一部の当事者にとっては自分の所在を示す目安になるということもあり、完全な悪とはなりません。


しかしそれは医師の診断であったり、本人の心の動きであったり、極めて内的な営みの中で成立する考え方かと思います。

また、外野の協力的な姿勢は大切かと思いますが囃し立てる火種ではありません。


当事者を守るための多様性だったはずが、外野がステレオタイプを持ち出して攻撃するきっかけにしてしまった今、新たな価値観を持ち込む必要があります。


大体どんな理屈でも反対意見が数年周期で台頭してきますが、多様性については今がその時です



多様性という言葉を盾に過干渉になった他人はどうして発生してしまうのでしょうか


他人を攻撃してしまう人もきっと不安に追われているのでしょうか、

そう思うと仲間ですね


偉そうなことを書いていながら私自身だって「攻撃する人」を「不安な人」と分類してしまいましたが、

細分化したら一人ひとり異なる理由があるはずです。


結局はみんな一人ですものねえ、、

一人ぼっちは苦しい時もあるから、一人同士で集まって助け合って生きていくんですものね

みんな分類なんてできないスペクトラム上にいるのですから、多様性を尊重するという考え方から、個別性を保障するという方向にいくのがいいかなぁなんて思うんですけど、どうですかねえ、、

あなたはあなた私は私の生き方をして、困ったときはお互い助け合いましょうねって言いたいです


あなたの個別性を保障させてくださいよ

今後もよろしくお願いします。

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