⑯お山座り我慢の残り3年間『それぞれの日常・知恵をつけ逃げる場所を作った』

高校生になった

お山座り

ボーイフレンド

ができ、

それなりに

リア充な

青春を過ごした。

ありがとうございます。


携帯も

持たせて貰えるように

なった。

母とも兄姉とも

連絡が取れるようになった。

お休みの日は

母と会った。

家から少し離れた

人通りの少ない

場所で

待ち合わせて

少し遠くに

ドライブに行ったり

母の

家に行ったりした。

母との

専用の

携帯も

持たされた。

でもこれは、

携帯代の支払いが

遅れて止められたまま

多分、解約してしまった。

母は、

隣県の飲み屋街で

スナックの

ママになっていた。

私の中学校時代

母は

スナックに住み込みをして

ママになるための

修行をしていたのだ。

あと3年で、

私は

あの家を出れる。

あと3年の我慢。

高校生になった

私に

父は

干渉しなかった。

が、

仕事にも行かなくなった。

長年のお酒がたたって

心臓の手術をした。

家に帰ると

いつも父がいる。

別の部屋にいても

足音や咳払い

タンを吐く音や

食事の準備、

祖父母との

話し声を聞きたくなくて

ほぼ

彼氏の家に泊まっていた。

逃げていた。

逃げる場所があって

幸せだったと思う。


ある夏

兄と兄の彼女と

母のお店に行った

帰り、

彼女が

自分のお父さんの悪口を

言っていた。

内容は覚えてないけど

とても微笑ましい感じの事で

後部座席で私は

泣いてしまった。

そんなにいいお父さんなのに

何でそんな風に言うだろう。

と思ったのだ。

兄が運転していた。

ルームミラー越しに

兄が見ていた。


家に帰ったあと

『何で泣いてたの?お母さんに泊まっちゃダメって言われたから?彼女○○も心配してたぞ?』

と聞かれたけど、

「心配しないで。泊まりたかっただけ。」

と言って誤魔化した。

全く違う環境で

彼女は育って来た

箱入り娘ってやつ。

大学も出ていて

歯科助手をしていて

家は

美容院。

優しくて楽しくて

安心感のある女性。

子供が産まれて2年後

離婚したけど。

姪っ子。

養育費を払いながら

たまに会っていた。

兄は

父としては

いい父みたいだった。

旦那としては

マスオさんに

なりきれなかったらしい。

高校生活3年間

色んな人に

出会って

育った環境の

ギャップに

いちいち

苦しくなった

以外

前面DVや虐待

という

行為の

印象的なものは

ない。

なぜなら

少し大人になって

知恵がついて

逃げる場所と

避ける事が

出来たから。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?