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眠れない日、よるのさんぽ

 なんとなく眠れなくてスマホを見ている
 夜を持て余した皆さま、こんばんは。

 私も眠れないうちのひとり、そんな日はどうにかして眠ろうと躍起になる。
 目を瞑ってじっとしたり、温かいものを口にしたり、睡眠法を調べて試してみたり……。
 それでもダメな時は、えいやっと布団を出て家を飛び出す。

 スマホと小銭をちょっと。家のカギ。
 骨伝導のイヤホンも。
 それだけ持って、夜の散歩に行くのだ。

 片田舎なので、22時を過ぎた頃から人気はおろか、車も通らなくなる。
 ぽつ、ぽつと街灯が灯る暗い道を、とぼとぼと宛てもなく歩いていく。
 真っすぐ道の突き当りまで。その次は何となく右へ。その次は左。
 空気はしんと静かに冷えて、息を潜めている。
 時々、民家からテレビの音が聞こえることもあるが、音量を落としているようだ。
 夜は、静かにしなくてはいけない。
 夜は、みんな眠らなくてはいけない。
 夜は、危険だから外に出てはいけない。
 夜は、
 夜は、
 夜は……
 その決まりの中で、私たちは暮らしている。

 イヤホンからメロウなジャズ調の音楽を流す。
 ちょっとご機嫌な歌でもいい。
 骨伝導のイヤホンは、耳を塞がないので夜の静かさを邪魔しない。
 むしろ、人の居なくなった街が音楽を奏でているようで心地いいのだ。   
 誰もいない夜は、メロディに合わせて首を振っても、歩きながらくるりと回って踊っても、好奇の目を向けてくる人は居ない。
 でも、子どもたちを起こしてはいけないから、歌う時は唇の先だけで歌う。

 誰も来ないのに、勤勉に点滅する信号。
 いつもは急いで渡る横断歩道で、少しだけ立ち止まり、車道の停止線を見たりする。
 もう電車が来ない駅の真っ直ぐなホームや、既に閉まった店の「営業は終了しました」「準備中」「休業日」の札をぼーっと見つめる。
 明日の朝には、慌ただしく始まることだろう。
 でも今は、このかすれた文字も全て私のものだ。

 散歩していると時々、猫の集会に遭遇することがある。
 立ち止まって、じっと猫たちの様子を観察する。猫たちは、ニャーニャーと鳴きながら思い思いに過ごしている。唸り声を上げ、喧嘩をしている猫もいる。
 彼らは彼らで必死に生きていて、人間の多い昼間ではなく、静かな夜だからこそ話したいことがあるのだろう。
 なんの話をしているんだろうか、と想像するのは楽しく、いつまでも眺めていてしまう。

 そうやって散歩していると、喉が渇いてくる。
 コンビニがあれば、ちょっと寄って飲み物とおにぎりなんかを買って食べる。
 深夜にコッソリ外で食べるものは、特別おいしい気がしてやめられない。
 夜勤の店員さん、いつもお疲れ様です。ありがとう。

 近くにコンビニが無い時は、自販機で手頃な飲み物を買う。
 遠くまで歩いてくると、暗い中にぽつんと在る自販機のぼんやりした明かりが愛おしく感じるものだ。
 ドリンクを選びながら、ちょっと前までは150円持っていれば大体買えたけれど、今は200円持っていないと不安だと思ったりする。

 3~40分ほど歩いて、何か食べたりするとだんだん意識がぼんやりしてくる。世界は夜が標準なような、ここが本当の世界のような気がしてくる。
 音楽が遠く聞こえ、周りの暗さが滲み、夜に溶け始めているのだと感じる。

 ここまで来ると、家路に戻ることが多い。
 夜空が黒くなれば黒くなるほど、月も星も明るくなる。今その光を受けているのは自分だけだと嬉しくなって、また小躍りしながら家に帰るのだ。


 眠れない夜は、よるのさんぽに出てみてはいかがだろう?
 きっと、あなただけの夜が見つかる。

image song
よるのさんぽ / 植田真梨恵


ひま餅

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