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今ドキ音声コンテンツは、ラジオと何が違うのか。漂う空気感と新しい文化。

こんにちは。himalaya公式note編集部の佐藤です。

先日、インターンの今(いま)ちゃんが記事にも書いてくれたように、himalayaでは、オーディオブックの聴き放題を提供しております。新しいランディングページができましたので、ぜひご覧ください。

……さて、そんな宣伝はさておき。。


今、音声コンテンツが盛り上がってきています。この記事をご覧のみなさんの中にも、最近になって音声コンテンツを聴く習慣がついたり、音声配信を始めたりした方もいらっしゃるかもしれません。

このような方は、まさに「音声ブームの当事者」です。

もちろん、もともとラジオが好きだった方もいるでしょうし、そうでない方もいるでしょう。そこで今回は、昔ながらのラジオと、最近の音声コンテンツ違いについて考えていきます。

偉大なる"ラジオ文化"

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個人的な話で恐縮ですが、私はいわゆる"ラジオっ子"で、中学・高校時代は毎晩ラジオ。アニメを観る以外の時間は、テレビを見るよりもラジオを聴いていました。

とくに22時~翌3時は、ラジオの"ゴールデンタイム"です。井手功二(現・井手コウジ)さんや國府田マリ子さん、やまだひさしさんが当時の私のラジオスター。今のTBSラジオ「JUNK」はまだ「UP'S」だった時代で、伊集院光さんや爆笑問題さんは当時からよく聴いていました。

思い返してみれば、今から20年も前である当時からラジオは「枯れた技術」であり、「過去の媒体」でした。インターネットは今ほど普及しておらず、情報を得たり、娯楽の対象となるメインの媒体はテレビ。ラジオはすでに時代遅れの媒体という印象がありました。

では、なぜそんな「とっくに時代遅れの」ラジオが今もって生き残っているのかというと、長い時間をかけて「ラジオにしかない特有の文化」を作り上げてきたからではないかと思っています。

ただの「ラジオ好き」だった私は、のちに「ラジオ番組を作る側」に回り、足掛け12年ほどラジオ制作に携わりました。ここからは、その経験も交えてお話しできたらと思います。

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ラジオには独特の空気感があり、いわゆる「4大マス」にカテゴライズされる他の3媒体(テレビ/新聞/雑誌)とは、ユーザーとの関わり方が少し異なります。ひと言で言うと、「多」ではなく「個」を相手にしているということです(もちろん、「マス」メディアなので、これは概念的な意味です)。

「ラジオは、"2Wayコミュニケーション"、かつ "One to One コミュニケーション"のメディアである」

これは、少なくとも私の知る限り、ラジオ制作に携わる人が共通して持っている基本的な思想です。

つまりラジオは、はるか昔から「一方的な発信ではなく、リスナーと相互のコミュニケーションを図るメディア」であり、かつ、「“みなさん”ではなく“あなた”に言葉を届けるメディア」だと、発信側が認識しているということです。

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いわゆる「ラジオ文化」は、この前提のもとに形成されてきました。すなわち、番組は「ラジオの前のあなた」と一緒に作り上げていくものである、という文化です。これはテレビや新聞、雑誌にはほとんどない考え方だと思います。

そして、もう1つ重要なのが、制作に関わる人の数です。もちろん例外はありますが、一般的にラジオは、テレビや新聞、雑誌に比べて、1つのコンテンツ(番組)を作るのにかかる人数が少ないという特徴があります。

週1回放送の収録番組であればスタッフは総勢で3~5人。コミュニティFMの生放送であればスタッフ0人、なんてのも普通にあります(DJ自身がミキサーを操作し音の送出を行う)。

スタッフが少ない分、仲間意識が制作者同士ではなく、リスナーに向きやすい環境があるのです。パーソナリティや制作者にとって、リスナーは「お客さん」ではなく「仲間」。これが、ラジオ特有のコミュニティ感を生み出しています

ラジオが好きな方には、きっとこの、いい意味での「閉じた空気感」を理解できるのではないかと思います。

今ドキ音声コンテンツの空気感とは?

ではhimalaya含め、最近あらわれた音声配信サービスでの音声コンテンツ(この記事では、以降便宜上「今ドキ音声コンテンツ」と呼びます)は、ラジオと何が違うのでしょうか。※ここから本題……

まず技術的な違い。ラジオが放送無線電波を用いて「放送」するのに対し、今ドキ音声コンテンツは、インターネットを介して「配信」するものです。そして重要なのが、インターネットで配信できるようになったことで、音声の楽しみ方が変わってきている点です。

▽「番組表」からの開放
 ⇒非同期でコンテンツを楽しめる
 ⇒コンテンツがネット上にアーカイブされる
 ⇒発信の頻度に縛りがなくなる
▽聴取環境の自由化
 ⇒ラジカセ(死語)ではなくスマホで、いつでもどこでも聴ける
▽発信の自由化
 ⇒個人が誰でも(しかも容易に)発信者になれる

今ドキ音声コンテンツでの、これらの違いは音声の聴取・発信文化にも影響を与えています。どんな変化が来ているのか、詳しく考えてみましょう。

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1.「時間の制限」による連帯感が薄まった

旧来のラジオには番組表があり、その時間に聴きたいラジオ局にチューニングを合わせる必要がありました。テレビのような便利なレコーダーもあまりないので、基本的に番組をすべて聴くには、終わるまでラジオの前に張り付いていなければいけません。

これが、ラジオ(とくに生放送)特有の「時間の共有」という名の連帯感につながっています。

今ドキ音声コンテンツには、この概念はありません。ラジオ番組のポッドキャストでも同様でしょう。

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一方で、時間とデバイスから開放されたことで、コンテンツを楽しむチャンスは大きく広がりました。スマホが普及したことで、好きな音声コンテンツが、いつでも、どこでも楽しめるようになりました。

ラジオが「一部の層に向けた少々マニアックなコンテンツ」だったのが、より誰でも気軽に楽しめるコンテンツに近づいた、と言えるかもしれません。

2.パーソナリティとの関わり方が変わった

▽ラジオのコミュニケーション
ラジオは「2Way」で「One to One」である、という話は先に述べましたが、そうは言ってもその“発信地”となっているのは、パーソナリティです。コミュニケーションは、つねにパーソナリティを中心として、相互に行われます。

ラジオのコミュニケーション


▽今ドキ音声コンテンツのコミュニケーション

一方の今ドキ音声コンテンツでは、パーソナリティは必ずしも有名人ではありません。パーソナリティも他の番組のリスナーであり、同時にリスナーもパーソナリティになり得ます。相互コミュニケーションが活性化して、音声がSNSのように使われるようにもなってきています。

今ドキ音声コンテンツ

​また、コミュニケーションの方法も変わってきています。旧来のラジオでは、「ハガキ職人」なんて言葉もあるように古くはハガキや電話(電話リクエスト番組の場合)、その後メールがメインになり、最近ではTwitterなどのSNSの活用なども見られるようになりました。

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一方の今ドキ音声コンテンツは、基本的にはプラットフォーム内のコミュニティ機能を利用します。himalayaであれば、アプリ内の「いいね!」ボタンやコメント機能でコミュニケーションを図ります。

コメント欄でリプライを送ることもできますし、相手が配信するチャンネルに行って音声を聴き、今度は自分がコメントを送ることもできます。ただ、himalayaでは、ユーザーの間で新しい動きも出てきています。

送られてきたコメントを配信音声の中で紹介する「音声でのコメント返し」です。これは、ラジオ番組でメールを読むのに近い感覚です。

このようなリスナー同士、パーソナリティ同士で、テキストと声の垣根なくメッセージを送り合う、というのは新しいコミュニケーションのあり方、と言えるかもしれません。

テキスト同士のコミュニケーションでは得られない、この「ラジオでハガキが読まれるワクワク感」は、旧来のラジオから持ち込まれた文化ですが、これを不特定多数のユーザー間でクロスオーバー的に行うことで、今ドキ音声コンテンツのSNS的コミュニケーションとなっています。

3.リスナーのコミュニティがオムニチャネル化

このようにコミュニケーションの方法が変化したことで、パーソナリティとリスナーの“距離感”も変化しています。今ドキ音声コンテンツでは、パーソナリティとリスナーは「対等な」関係であり、互いに番組を支え合うという動きもできつつあります。

もともと赤の他人だった人が、音声コンテンツをとおして知り合い、メッセージを送りあって、TwitterなどのSNSで紹介し合うーー。さらには、お互いの番組にコラボ出演し合ったり、プラットフォームの枠を超えて(himalaya⇔stand.fmさんなど)、音声配信の幅を広げたりしている方もいらっしゃいます。

また、パーソナリティ同士でつながって同時刻に同じテーマで音声配信を行ったり、同じ音声を複数のプラットフォームで配信し、たまに特定のプラットフォームの限定コンテンツを配信したりと、各プラットフォームに集まるユーザーに対するアプローチの模索も始まっているようです。

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こうして、音声を軸としたコミュニティが各プラットフォームで生まれ、オムニチャネル的にオープンに作用し合うという構図が形成されてきているのが大変興味深いポイントです。

今ドキ音声コンテンツは、ラジオの代替ではない

ということで今回のnoteでは、旧来のラジオと新しく出てきた今ドキ音声コンテンツを比較しながら、空気感や文化の違いについて考えてみました。

この記事だけでそのすべてを述べられたとは思いませんが、ラジオと今ドキ音声コンテンツのどちらか、あるいは両方に触れたことのある方には、共感いただける部分もあったのではないかと思います。

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新しいものが出てくると、旧来のものは「オワコン」と言われてしまいがちですが、私個人の意見としては今ドキ音声コンテンツは、完全にはラジオの代替にはならないと思っています。

もしかすると、近い将来、同一プラットフォームでラジオを含めたすべての音声コンテンツが楽しめるようになるかもしれません。

しかし、同じ音声コンテンツでも、ラジオにはすでにでき上がった世界観があり、それはラジオにしかないものです。一方の今ドキ音声コンテンツではユーザーたちが特有の聴取・発信文化を形成しつつあり、ラジオとはまた違った魅力を放ちはじめています。おそらく「方法」が統合することはあっても、「文化」までが統合して代替することはないと思うのです。

そして今、確実に言えることは「音声の楽しみ方がどんどん広がっている」ということです。今後数年で音声市場は飛躍的に伸びていくでしょう。ラジオと、今ドキ音声コンテンツがこの先どのように進化し共存していくか、私自身も楽しみですし、引き続き注目していきたいと思います。

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