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朱子学とは


【理気二元論】

  朱子学とは、南宋時代の朱熹「しゅき」によって作られた新儒教です。朱熹は、朱子とも呼ばれ、儒教の中興者となります。朱子は、理気二元論「りき」を説きました。理気二元論とは、万物が、理と気とが合わさったものであり、それぞれ別物ですが、お互いに作用し合う関係であると言う説です。理気二元論では、万物には上下関係があるとされます。この上下関係は、人間にも当てはまるとされ、身分制度は肯定されました。日本では、江戸時代の幕藩体制において、武士階級の基本理念として推奨され、官学となったのです。 

 【理】 

  理とは、万物の生成変化に方向性を与えるものです。理が、万物に存在の根拠を与え、万物を個別化して、それぞれに分配します。いわば、万物に秩序を与える法則性のようなものです。理に従った方が、物事は円滑に進むとされています。万物と理は、相互に不可分の関係です。 

 【性即理】 

  理は、万物の一部である人間に当てはまります。人間本来の性質は、理に従うものです。理の働きは、人間社会においては道徳的秩序として働きます。理を体得し、倫理道徳に従う人間が聖人です。人間が、理に従った場合、それは正しい行為となります。人間とは、本来理に従う善なる者です。この性善説を性即理「せいそくり」と呼びます。 

 【気】 

  万物は、全て気から構成されています。気とは、ガス状の物質的要素のことです。この気は、理の法則性に従っています。気が凝縮して生み出されたものが物質です。気の運動性によって、季節、月日、現象などは変化します。生命も気から構成されており、それが解体した場合は個体の死です。気と理は、それぞれ独立には存在していません。気は、常に理をやどしているからです。

【本然の性】

 気の働きによって、欲望に覆われた心を「情」と言います。それに対して、「性」とは、人間の持って生まれた本性のことです。この本性のことを本然の性「ほんぜん」と言います。本然の性とは、理が働いた状態の本来の心のことです。自分の感情や欲望を抑制することによって、本然の性に立ち返ることは可能でした。自分を律し、理に従った厳しい態度を窮理居敬「きゅうりきょけい」と言います。窮理とは、理を極めることで、敬は「つつしむ」と言う意味です。 

 【格物致知】 

  窮理の別名を格物致知「かくぶつちち」といいます。格物致知とは、万物に内在する理を追究し、知的な学問研究を極めることによって、本来の性に立ち戻ることです。 格物致知の「格」は、「窮める」や「至る」と言う意味であり、「物」は、事物のことです。 格物とは、事物の理をきわめた、その究極点のことを意味します。致知の「知」は知恵、「致」は完成なので、知恵を完成させると言う意味です。つまり、格物致知とは、一つ一つの事物の理を極めることによって、知恵を完成させると言う意味になります。


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