インド哲学、アートマンとブラフマン
【アートマン】
インド哲学における重要な概念の一つが「アートマン」です。アートマンは、身体の最も内側にある「魂」や「霊魂」のようなもので、その数は、無数にあるとされています。個人を区別する個別に独立したものなので「個我」や「真我」などとも呼ばれました。そうした「我」を、想定してる点は、仏教との大きな相違点だとされています。なぜなら、仏教の場合は、無我説だからです。アートマンは、それ自体変化しません。何かから出来たものではなく、他の何かになることもないので、不生不滅の存在だとされています。不生不滅とは、今後、新たに生まれてくることもなければ、無くなることもないという意味です。アートマンは、自主独立のものとして、常に存在していました。
【輪廻の主体と認識者】
全ての生命体には、アートマンが存在するとされています。そのアートマンが、死んだ後、新しい肉体得るという輪廻思想の根拠となりました。アートマンは、固定的な実体とされています。ただし、物質的なものではないので、実体化はしません。アートマンは、個の中心にあって、一切の観念を認識する者とされています。ただし、アートマン自体は、対象化しないので、認識の対象にはなりません。その存在が、主客の対立の原因になっているとされています。アートマンは、こういうものだと、限定されないので、いかなる言葉をもっても、表現することが出来ません。
真に実在するのは、アートマンだけで、それ以外は幻「マーヤ」だとされています。アートマンとは、世界が何であるか知ろうとするものです。それが、世界を展開させる原因になっているとされています。知ろうとする分別作用が、この世界を形成するからです。
【ブラフマン】
ブラフマンとは、一切の万物のことです。それは、一つの全体なので「全一者」とも呼ばれました。ブラフマンには、内も外もないとされています。また、不生不滅のものとして、常に存在していました。ブラフマンは、ただ一つのものですが、自分自身を展開させ、様々に形を変えています。世界が、中断されることなく生成しているのは、そのためです。その生成は、終わることがない一つの循環だとされています。循環させるために、外からいかなる力も借りていません。ただ、自分自身の本性に従っているだけだからです。そのため、ブラフマンは、常に自分自身に満足しており、欲求がないとされています。ブラフマンには、特徴がなく、個性というものがありません。全体として一つのものなので、こういうものだと限定して、表現することが出来ないとされています。なぜなら、それと比較するものがないからです。
【梵我一如】
ブラフマンは、宇宙の根本原理であるダルマを定めたとされています。また、人間社会には、ヴァルナ制という身分制度を創造しました。ヴァルナは、現在でもインド社会に残っています。ウパニシャッド哲学では、アートマンとブラフマンは、本質的に同一「等価」だとされました。それを「梵我一如」と言います。梵我一如は、バラモン教、ヒンドゥー教における解脱の境地で、僧侶階級であるバラモンは、それを目的としていました。バラモンは、サンスクリットで「ブラフマーナ」と言います。です。ブラフマーナとは「ブラフマンに属するもの」という意味です。バラモンは、瞑想をする時、心をブラフマンとし、直観で悟るとされています。
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