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推しが引退するということ〜ビッキーの話②

前回の投稿の続きというかなんというか。

誰しもが通る「引退」の道

スポーツ選手を応援していると誰しもが迎える「引退」。大規模にセレモニーをして貰える選手は一握り。ほとんどがひっそりとユニフォームを脱ぐ…そんな世界なのかな?と思います。

野球でもバスケでも多くの「引退」を見てきました。その選手自体の引退も悲しいのですが、その選手を応援しているファンの悲しみを考えるとより悲しくなります。特に自分自身が「推しの引退」を経験してから。

同じような時代を生き、応援させて貰えること。奇跡的だし、貴重だと思うんですよね。時には辛いことや泣かされることもあるとは思いますが、幸せをもらうことのほうが断然多い。だから推すのかなっと。

でもその時間は有限、遅かれ早かれ終わりは来るもの。オタク界では事あるごとに言われてる言葉。「推しは推せる時に推せ」

30すぎた選手を推すと毎年が勝負-2018年の話


前回の投稿にも書きましたが、ビッキーに関してはここ数年は「今年で最後かもなー」という思いがチラついてました。30代の推しを持つものの宿命みたいな感じなんですかね。選手が1年1年勝負なのと同時に、ファンも1年1年が勝負…みたいな。ってやや大袈裟だなw

特に2018年は覚悟を決めてましたね。春キャンプ2日目に別メニュー。3月にまた再挑戦。4月下旬に上がったかと思ったらサードコンバート(ファームで1試合しかみてないぞ?ん??となりましたが笑)5.6の起死回生同点ホームランから徐々に出番を増やすも交流戦途中でまた怪我離脱…。神宮に行った回数より戸田に行った回数の方が長いですよね?状態でしたね(^^;; 戦力外通告の期間が終わっても何もなくて安心しました。(毎日ビクビクしながら過ごしてたわ…涙)

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「推しを普通に見れるだけで幸せなこと」を学んだ春キャンプin西都原運動公園

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2018年は戸田で見ることのほうが多かったよね…桜がキレイなのは良きことですが。

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リアル土手。懐かしいな。

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2018年5月6日。今季初ヒットは9回2アウトからの同点ホームラン。これをきっかけに浮上していった。

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交流戦は絶好調で。このままいけるかな?と思った矢先に怪我。再び戸田に通う生活。

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夏のファーム球場は基本過酷な暑さです( ゙゚’ω゚’)

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実戦復帰してからは色んな球場へ。

楽天のファーム本拠地のうちの1つ、泉練習場は右バッターを見るには最高の環境でした☆

ラストイヤー -2019年シーズン

2018年を無事に乗り切っても、次の年も「今年で終わりかも」という不安はあります。

春キャンプのファームスタートに始まり、若手中心の起用…早々に最下位が見えていたのもあって、ベテランの居場所は段々なくなっていきます。ついに7月下旬に数年ぶりの怪我以外でのファーム行き。うっすらとした覚悟が、本格的な覚悟へと変わった瞬間ですね。

これまでも、「行けるなら多少無理してでも見に行く。1分でも長くプレーを生で見る」という方針で生きてきました。それが強まった感じですね。夏から秋にかけては、仕事が休みの日は毎試合観にいってました。あとは溜めていた有給も使ったり、外回りの営業だったので仕事を調整しつつ。それでも見れなかったものはありましたが、それは仕方なしということで(・_・;

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スタメンで出ることは大分減ったので、ベンチウッチャーと化してた頃。

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ビジターの試合前練習とシートノックと守備固めタイムに本気を出す女(控え推しあるある)

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片道2時間半かけて平塚や小田原に行ったり、灼熱の戸田に通ったり…。おかげで熱中症対策には自信があります笑

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夏ごろには「無理かもなぁ」と思っていた1000安打を達成した時には泣いた。

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9月中旬。自由契約報道が出た数日後。普通にニコニコしていて、それが逆に泣けてきた。

待つしかない日々 -2019年シーズンオフ

10月1日に「戦力外通告」という形で正式にリリース。9月中旬に報道が出てきたとはいえ、いざ正式な形でリリースされるとショックでした。さらには、自由契約報道が出た時には「他球団でプレー希望」と前向きだったのに、戦力外通告のニュース記事だと「ダメなら引退で」「決まればラッキー」とやや後ろ向きな塩梅で。

ただここからは情報検索と神頼みしかないんですよね。Twitterで1日3回は検索してました。何か情報が欲しくて。ただ、日が経つにつれて情報がなくなっていくと、段々と覚悟はせざるを得ない感じでした。でも1%の望みがあるなら信じたい…。できれば、ルーキーイヤーをスタートさせた&地元の地…つまりはオリックスに帰ってきてもらいたいなと。

神頼み叶わず、12月30日に引退との報道。「やっぱり…」と思ってはいても、悲しいものは悲しいんですよね。

引退試合とか引退セレモニーという形で引退していたら、「区切り」はつけられたのかもしれない。でも、あたしの場合は自然消滅というか、ひっそりと消えた形。区切りをつけようとしても区切りをつけられない苦しさみたいなものはありました…というより、半年経った今でも「ある」のかな。

繰り返しになるけど、推しは推せる時に推せ

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区切りをつけられない苦しさと同時にあったのは、ずっと推し続けてきたことへの謎の達成感。

もちろんずっといいことばかりだったわけじゃないです。好不調の波は激しいわ、怪我はよくするわだし、加齢とともに段々居場所がなくなっていく立場。泣いたことや怒ったこともありました。

それでもずっと推し続けて、色んな場所へいき応援し続けてた(応援させてもらった)7年間。応援したいというパワーを貰いつつ、必死に動きました。仕事に支障が出ない範囲で。安いプランを調べ尽くして移動&宿泊(深夜バスとかカプセルホテルもガンガン使いましたw 流石にネカフェは加齢のため無理でしたがw)勝手に推していて変な言い方かもしれませんが、「頑張ったな、あたし」と。仕事もそれぐらい頑張ったら上にいけるかもね(苦笑)

「推しは推せるときに推せ」

いつか推しのプレーを引退など何かしらの事情でみれなくなった時の後悔を最小限にするために必要だと思います。もちろん、実世界と趣味のウエイトや趣味にかけられる時間とお金の制約によって個人差はあるでしょう。どんなに推しても「全く後悔しない」ということはないと思うんです。なにかしら後悔はする。でもその後悔を少なくするのは、今なのかなって。

今ある資源(余った時間&お金)をフルに活用して推し(選手、チーム)を愛せますように。

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