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「キャリアをどうしたいか」よりも「誰に何をしたいか」を問う(ディア・ドクター)

映画「ディア・ドクター」を観た。

「病気を治すこと」は1つの手段に過ぎない

僻地の病院で”医療”を行う”偽物”の医者、伊野を描いた映画。

医師免許が無い、伊野の振舞いを見て、患者は患者である前に、一人の人間であると気が付き、私はハッとした。

人が医者に頼るのは、病気、身体の調子を良くしたいからでもあるが、必ずしも病気の人が”身体”の調子を良くしたいだけとは限らない。

病気を治すことよりも家族に迷惑をかけないことを優先したい人もいる。

また、身体の病気よりも、孤独・寂しさを癒したい人もいる。

患者の病気を治すことは、一つの手段であり、その目的は、その人が、どうしたいか、どうしたら幸せかを一緒に考えて、実現をサポートすることだと感じた。

「医療=病気を治す」という固定観念に縛られ過ぎて、その目的や他の手段を検討するという柔軟な思考を失ってしまっていないか?

映画がそんな「問い」を投げかけているように、私は感じた。

結局は、人対人

医療、技術、科学。

ものすごいスピードで進化しているが、それらが進歩したところで、人を幸せにするのは、医療や技術、科学をどう使うか。つまり、技術は人を幸せにするけれど、技術で人を幸せにする根本にあるのは、人対人の間で生まれる想いだと感じた。

医療に限らず、自分の仕事・生活・人生において、つい目の前のこと、近くのものばかり見ると、その先にいる人の存在、その人の感情を見失ってしまうことが多々あると思う。

改めて、自分の仕事の仕方、仕事に対する向き合い方を振り返ってみると、自分の「キャリア」自分の「成長」自分の「評価」にばかり目が行っていて、仕事を通して、誰に貢献しているのか、誰を喜ばせているのか、誰を支えているのか、「キャリア」や「成長」「評価」の根本にあるはずの、そして、本質的な人と人との関係性について、想いを馳せることが、普段、全然出来ていなかったと気が付いた。

本質を見つめなおす

手段の目的化を無くしたと思っても、無くしたと思っても、その目的のより上位の目的、本質を意識できていないことが多々あることに気が付いた。

自分の在り方を見つめなおす際、日々の仕事や暮らしを振り返る際、ただ自分の成長やキャリアを見つめなおすだけでなくて、より上位の目的、より本質的な、「人と人との関係性」をどうしたいか、というところまで、意識しようと思う。