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狭い文脈にとらわれず、「今」楽しんでいるかい?「今」目の前の人を大切にしているかい?(運び屋)

クリントイーストウッド監督・主演の映画「運び屋」を観ました。仕事ばかりで家族との関係はおざなりにしていた少し時代遅れな90歳のおじいちゃんがコカインの運び屋になるお話です。

今日はのんべんだらりと書き綴ってみようと思っているが、クリントイーストウッド監督は先日5月31日がお誕生日だった。

それまで、私は監督のことをよく知らなったのだが、クリントイーストウッド監督のファンの方々が自主的に開催していたオンライン生誕祭(stand.fmというラジオアプリ上で)にふらりと訪れた。そこでオススメされた映画の中で気になったのが「運び屋」。タイトルからして気になった。

意識はしていなかったが、同監督の映画「インビクタス負けざる者たち」という南アフリカを舞台にしたラグビー映画を以前にわたしは観たことがあった。ネルソンマンデラ大統領がラグビーを通して、黒人と白人のお互いの理解を深めさせる映画だ。実話をもとにした映画で後半のラグビーの試合のシーンでは感動して涙がこぼれた。

その映画もそうだったように、クリントイーストウッド監督は実話をもとにした映画づくりで有名な監督のようだ。90歳のおじいちゃんがコカインの運び屋をやっていたという実話。それをもとにした映画。これは、観てみるしかないと思って、早速鑑賞した。

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前置きが長くなってしまった。この映画、「ちゃんと楽しんでいるか?」というメッセージが印象的だった。

主人公で90歳のおじいちゃんアールは、コカインの運び屋という緊張感のある仕事、犯罪を犯しているにも関わらず、楽しそうにカントリーソングを歌いながらドライブしている。若い女性との遊びを楽しんだり、世界で一番おいしいポークサンドイッチを頬張ったり、他の若い運び屋のメンバーたちとは、どこか心構えが違った。

アールは、映画中で「時間だけはお金が買えない」と話すし、「大切な人のそばにいるためにお金は必要ない」という事にも気が付く。

彼の姿を見ていると、仕事や規範にとらわれ過ぎて「今を楽しめていないのでは?」「今、大切な人との関係性がおろそかになっているのでは?」という問いが自分の中に生まれてきた。

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わたしは、仕事をしていると、つい効率性や収益性を求めすぎて、「今、目の前にいる人」を大切に出来ていない時があると思う。仕事という文脈では、効率的に行動したり、収益を意識することは大切だという想いは変わらない。ただ、もう少し広い視野で、自分の人生という文脈では、「今、目の前にいる人」と築きたいのは、効率性や収益性にとらわれない深くて思いやりのある関係性だ。

仕事という文脈。社会の規範という文脈。そういった、「文脈」の中で誰もが生きていると思う。意識しなければ忘れてしまうほどに。

いつのまにか、自分が入り込んでいる「文脈」の中では、重要なことも、もっと大きな「文脈」で見れば、あまり重要ではないのかもしれない。少なくとも、わたしは「仕事」という文脈の中では効率性や収益性が大切だと思うが、「人生」という文脈の中では、そんなことよりも楽しさや人間関係の方が重要だ。

90歳のおじいちゃんの生き方は、「自分が今とらわれている文脈の存在」と、「それよりもっと楽しみや人間関係だけは大切にしたいという気持ち」に気が付かせてくれた。