見出し画像

日ユ同祖論で想うこと:補遺2、そしてまた、祖先崇拝について考えてみた(のだが…):補遺

神と人間の距離感についての続編です。何と、私に補遺を書かせた本が、さらに爆弾を落として寄越しました。他ならぬ古代ユダヤ、旧約聖書の中で、王を神の子とする記述があるというのです!

箇所は「サムエル記下」7:14、「詩篇」2:7。いずれも神自身がそう言っているのだと!

もちろん、あくまでも喩えであり、神自身の言葉ということで、日本神話を除けば、神と人間との間には超えがたい溝がある、という持論は、辛うじて命脈を保ち続けていると考えています。ただ、これをきっかけに、「祖先崇拝について…」で宙ぶらりんにしたままだった疑問に、一つの解答を得たようにも感じました。

つまり、祖先崇拝に神が滑り込むことで神の子孫というイメージが確立されたのだ、というように思ってきたのですが、むしろ、神の子であるという特権的な立場が、過去へと延長されることで、初めて神の子孫であるというイメージが生まれたのではないかと。

ただ、ここにはやはりこだわりますが、そこまでやったのは、やはり日本神話だけではないかと思うのです。