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方相氏の悲劇

旧暦の12月30日に行われていた、宮中の年中行事、追儺(ついな)。とされた疫鬼や疫神を追い払うための儀式で、後の節分の起源になったと考えられています。

ところでこの追儺で、鬼を追い払うための行列の先頭に立っていたのが方相氏です。その顔面は真っ赤で、目は四つ、歯は刃のように鋭く、頭頂には角も窺える相貌が画に残されています。鬼を追いやるという役目に相応しく、見るからに恐ろしい容貌をとることになったのでしょう。まるで今でいう「鬼」そのもののように。

しかし時代が下るにつれて、彼らに求められる役回りは移り変わっていったようです。鬼を追い払う役目だったはずの方相氏自身が、鬼として追われる役回りに身を落とすことになったようなのです。

そもそも鬼を追い払う役割だった者を、鬼として追い払ってしまえば、そこには本来の鬼が残るだけ。方相氏を見舞った悲劇は、実はわれわれ自身の悲劇であったのやもしれません。