折に触れて振り返る際のメモとして。
何度も読み返す価値があるような本については、本記事に追記していきたい。私がそれを覚えていれば。
生の短さについて他二篇 セネカ
これから生きようという人とは、例えば定年退職を終えてこれからは自由に生きるぞと考える人、長年離婚できなかったパートナーと別れて自由を謳歌せんとする人、彼らのことである。
本編にも記述があるが、我々はあたかも無限に生きるかのように時を浪費している。自由に生きようと考えているときには時既に遅し、という事態が往々にして、いや常にあると言っても良いのかもしれない。
アリストテレスの「告発」には個人的には共感できるところはない。人間はただ生まれついて死ぬだけの存在であり、そこに価値は存在しない。偉業をなすべく生まれついたというのは自らの生や人間全体の生に意味を担保したいという欲求が透けて見える。
だが「生は蕩尽される」という視点には首肯する。自分達は死を目前のものとして生を捉えることは殆どない。
時間はどんな人間にも平等に与えられた財産だという格言は誰しも聞いたことがあろう。本書では時間をしっかり使うことの定義について下記のように述べている。なお下記は老人に対して言ってやりたいとする言葉の一節である。
かなり強烈なメッセージである。ちなみに夭逝とはいわゆる早死にの意。
私は32の誕生日を迎えようとする今においても、自分のための時間とは何なのか検討がつかない。ただ私自身も、悲しきかな、時間を他の人に分け与えることについてはなかなかのお人好しである。転職を一度経験したときにそれを自覚した。
書籍
「生の短さについて他二篇」の二篇は、心の平静を得るためにはどうすればよいかを説く「心の平静について」、快楽ではなく徳こそが善であり、幸福のための最も重要な条件だと説く「幸福な生について」が収録されている。