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それぞれの9.11 #1
ごきげんよう~ 写心家ツッシーです。
またの名をご近所カメラマン
今日は9月11日。9.11といえば何を想像しますか?多くの方は2001年アメリカで起きた「同時多発テロ事件」だと思います。
自分もかなり衝撃を受けました。もう二度とあのような事は起きて欲しくないと思いました。
今回お話しようと思ったのは、じぶんが2015年9月15日と2019年に体験した事です。
■2015年9.11の何が起きたか
2015年9月10日木曜日、その日自分は次の日が休みなので仕事を目いっぱい頑張って帰宅しました。帰り道にかなり強い雨が降っており、前が見えないくらい激しい雨が降ってました。
家に帰りニュースを見ると、かつて住んでいたことのある茨城県で大雨で川が氾濫したというニュースが。茨城県常総市というところが近くを流れる鬼怒川が氾濫しあたり一帯水没しているなんとも心が痛む映像でした。
じぶんも常総市は行ったことがあるし、水没した場所も何度も通ったことのある場所でした。そんなニュースを見て心を痛めていましたが翌日じぶんの身に降りかかることになろうとは・・・
■悪魔の電話
翌日朝5時頃、何10件も着信が入ってました。眠い目をこすり、「今日は休みなんだけど・・・」なんて思いながら着信履歴を見ると副店長からでした。ただならぬ雰囲気を察知しすぐに折り返すと・・・
店がとんでもないことになっている。
着替えて家を飛び出して店に向かいました。
自分の勤務先は「国道4号線」沿い。
自分の通勤路は4号線はほとんど通らず裏道。
店に向かう途中じぶんの部下と連絡を取ったところ4号線は超渋滞でとても店にはたどり着けなさそうという話。
裏道をひたすら走り、普段は店の近くで4号線に合流するのですがここは回避しさらに迂回。4号線に合流せず店に1直線でたどり着ける道を選択。
あと少しで店だというところで道路が冠水。やむなくさらに迂回し店の裏側の高台へとようやくたどり着きました。
そこで見た光景は・・・
■膝上70cm以上の浸水
高台から見た光景は非常口から濁った水が「滝のように」外に向かって流れている光景です。「滝のように」ですよ。
出てくるはずないところから水が、濁った水が滝のように・・・終わった、って思いました。
従業員入り口前も冠水していて近づけなかったのでしばらく待機。近くのコンビニもパニック。食べ物関係は売り切れ。朝の7時過ぎ。
それから約2時間後、ようやく店内にGO!警報は鳴りっぱなし。まるで「東日本大震災」の時のよう。東日本大震災の時も被災してますが、当時は自身だけで水の被害はありませんでした。
店内は泥水により言葉で表せないぐらいの被害を負っていました。写真も撮りましたがここでは伏せておきます。
自分の部門の作業室にたどり着きましたが冷蔵庫は水浸し、低い位置にあった商品はすべて泥水をかぶり売り物にならず。機械類も基盤が水没しアウト。
他の店は何事なかったかのように営業してますが、じぶんの店だけが営業停止。二度目の被災。今度は水害。
店長と連絡を取りながらまずは部門のメンバーの安否確認。幸い皆無事。店に来れる方は店の復旧を。家の被害がある方は家の方優先で。
■翌日営業再開するように
翌日営業再開するように、と無理難題を言い渡されたじぶんたち。
いやいやどう考えったて無理だろう。
本部から100人ぐらい援助出すから、ってそういう問題じゃない。人数とかの問題じゃなくて・・・
来ていただいた本部の方には大変感謝申し上げます。
が、一部本部の方でこういう局面でもあら捜しをしたり、命令口調だったり、お遊びみたいな感じで働いていたり・・・じぶんの店ではないから真剣みが足りないと見受けられる方も多々見受けられました。ちょっと働いたらすぐに休憩、お前らやっておけよ、的な。
じぶんたちはこの状況を何とかしたくて必死でやっているのですが、手伝いに来た人が真剣にやってくれないと本当に困ります。東日本大震災を経験しているので目の前の困難をみんな文句を言わず文字通り「絆」で乗り越えてきたじぶんたちにはそういう温度差がヒシヒシと伝わってきました。
じぶんより先輩で職位も上の方々たちでも、です。
もちろん真剣に手伝ってくれた方々もたくさんいました。店の従業員だけでは進まないのがかなりハイペースで進めることができました。本当にありがとうございます。
さすがに翌日再営業とはいきませんでしたが、ほぼ不眠不休で進めた結果、約1週間後には「仮営業」という形で営業再開することができました。
■2度の被災を乗り越えて
2011年の東日本大震災、2015年の水害。2度にわたる職場での被災を経験で得たことは「絆」です。
ただ、絆は時間が経つにつれて弱まりつないだ手は離れてしまうということも知りました。
その時必死で何とか店を再開させなきゃと手と手を取り合った仲間がいつの間にかあの人がああだ、この人がこうだ、みたいになってしまったり。
元々仲の良くない方々はやっぱり元に戻ってしまうのか・・・せっかく手を取り合って歩み始めたのに。ちょっと残念。
ただ、きっかけは自然災害ではありますが、性別も性格も立場も職位も越えて一つの事に向かっていける、「絆」を知ることができました。
ただただじぶんたちのできることをしよう、今日より明日を良くしよう。そこに打算も見返りもなくただひたすらやれることをやる。
今は未知のウィルスが猛威を振るってます。じぶんたちが生活するためにはそんな状況下でも利益を上げなければいけません。給付金だけでは生きていけません。きれいごとでは生きていけません。
が、手と手を取り合って生きていくという、きれいごとにも聞こえかねない感覚は必要なのではないかなぁ?時には我を通し時には1歩ひく。
正解はないのだけれど今日よりも明日、明日よりも明後日が少しでも良くなることを願って。
5年前の2015年9月11日に起きた出来事から思った事でした。2019年のお話はまた今度。
読んで頂きありがとうございます
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