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他力本願なSNSと別にそれでいい話

はじめましての方ははじめまして。また読んでくれた方はありがとうございます。hiloaki.kと申します。またも随分と更新が遅くなってしまいました。

今日は一カ月くらい前?に盛り上がっていたSNSの話を見ていて自分なりにうーんと考えて思ったことを書きます。

1.SNSがなくなったら、SNSがなくなっても

僕は現在、オープンなSNSツールはtwitterとinstagramを使っています。で、どっちかというとtwitterが好きです。理由は三点くらいあります。

・一覧性がないこと
・拡散機能があること
・リプライがツイートと等価であること

一覧性がない。というのはinstagramと比較して、です。
元来僕は決まった対象をあまり撮ることがなく、編集も自由気ままなので写真のテイストはバラバラです。風景も撮りたいし、街中スナップも撮りたい。建築の部分的な切り取りも好きだけど、ダイナミックな空からの景色も好き。映画を見た後はその映画のテイストに寄せて現像するし、グラフィック展に行ったらそれに近い構図を探します。
バラバラな撮り方、編集の仕方をする僕にとってはinstagramみたくホームを見られて、「この人はこういうタイプ」扱いをされなくて済むのは気が楽です。

拡散機能がある。というのは大事。モチベーション的にも。
でもそれ以上に重要なのは思ってもみない出会いがあること。電子辞書と紙辞書論争でよくある偶然性みたいなものがちょっとでもあるのは嬉しい。まあ、だいたいが影響力のある人がブワって回ってくるからそれもなかなか難しいんですが。あと、自分のホームを見てツイートってとこを見た時にそこに自分が撮ったわけでもないのに素敵な作品が並びますよね。それってめっちゃ現代の美術収集みたいじゃないですか?自分だけの美術館的な。これもうれしい。

リプライがツイートと等価。ていうのはなんか「twitterってコミュニケーションツールだ!」って感じがするんですよね。
独り言のように呟いたものに誰かが反応して、それらが同じ1ツイートっていう重さを持っている。その等価な重さの単位がすごい個人的にうれしい。
すんごい考えて時間をかけて編集して写真をボンって上げて、それが1ツイート。で、それに対して「好きです」って四文字反射的に送っても1ツイート。普通の会話っぽくて、いい。

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そんなこんなで、twitterが好きな僕ですが。

やっぱりtwitterという性質上、RT数・いいね数・フォロー数は気にしちゃう。気にしちゃっている最中に予期せぬSTAYHOME期間がおとずれました。STAYHOMEをして、ある意味現実空間よりもSNS空間のほうが自由になった昨今、特にGWには「SNSのために写真やっているの?」という議論がフツフツと湧き上がっていました。時間があってそのリソースを全部twitterにぶっこんでたら疑問は上がりますよね。

それでぐーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと考えてみました。最近、結論が出ました。

僕はたぶん、SNSがあるから写真の更新頻度は上がっています。
あと、技術も自分ひとりでやった場合の数倍は速く向上しています。

でも、SNSがなくなっても写真を撮ると思います。たぶん旅行に行く時くらいは。ものすごいゆっくり、少しだけ撮って、これはこれでいっか。って思うでしょう。

2.他力本願な自分

と言いつつも、ほんとにそうなのかは自信がありません。
現にtwitterはあって、写真は今も投稿してますから。

ただ何となく根拠はあります。恥ずかしいのであまり言いたくないですが僕のtwitterは他力本願だからです。更に恥ずかしいことに、気付いたのは最近ですが。

僕の写真は時々ちょびっとだけ伸びます。(そんなの伸びているうちに入らねえって言わないで)
そんで、僕はわかりやすく調子をこきます。やっぱりうれしいし。

でも伸びるのにはからくりがあるわけです。

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写真が好きで、素敵な写真に「素敵!」って言い続けていたらそれに気付いてくれてフォロワーさんが何千何万人もいらっしゃる方とお友達になれました。

すると、その方々が時折僕の写真を気に入ってくれてはリツイートまでしてくれます。うれしい。リツイートなんてほぼ告白ですからね。「あなたの写真、私の美術館のコレクションにします」って感じですからね。うれしい。

するといろいろな人の目に留まります。ほんで、ちょっぴりいつもより伸びます。普段10いいねもいかない僕ですが、100いいねくらいになります。

コレはチートです。僕の写真そのものの力というよりはそのお方の力を借りていいねをいただいてる部分もあります。ありがたい。んで、それに自覚的になってしまうといかに人様の力でSNSをやっているんだ、という気持ちになっていました。(ここ一週間くらい)

僕の写真じゃなくて、僕の写真を「拡散してくれた人」を見ているんじゃないかってうーんうーんと悩んだわけです。めちゃくちゃ他力本願。これって写真撮る意味あるのかな?と。

仕方ないのでtwitterをアンインストールして画像投稿ツールとして使ってみました。別のアプリから予約投稿をしてボンボン投げていくだけ。平日は19時に建築の写真、土日は11時に街の写真、19時に建築の写真。いいねからの解放は気楽でしたが、コミュニケーションをしないのはなかなかカナシイ。

ということでtwitterを再インストールしてのんびり眺めていました。
ほんで、1リツイートもつかない自分の写真たちを見てやっぱり愛おしいなあと思いました。

3.それでいい自分

僕はnoteでも何度か書いていますが、地味な写真を撮っています。主題もあいまいだし、人も写ることはそう多くない。
彩度もなんかイマイチ振り切れてないし、黒つぶれ・白飛びも嫌。ド派手な写真はない。

つまり、「目立たないバズらない写真」です。

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でも、友人と旅行に行ったとき、家族と過ごしているとき。そんな時に一緒に言った記憶を、表情を、記録することはできそうです。身近な人の肖像をSNSにあげるのが怖いのであげていませんが。

そうやって撮る写真。自分がいいなあと思って撮った写真はSNSとは違う評価軸があります。「いい写真だね」って言ってくれる家族や友人がいます。

なんかそれでちょうどいいんです。

「プロ級だね」とは言われないけど、なんかいいねって現実世界で言ってもらえて。時折だけど、目の肥えているtwitter上の友人にも「なんだかいいね」って思ってもらえる。他力本願だから、伸びた伸びないはその影響力の大きい友人が好きかどうかの違いだけだから。大丈夫。大丈夫。

なんとなくそれでちょうどいい。


一週間を経て、少しだけ立ち位置を確認できた気がする。備忘録代わりにこれを残しておきます。

4.おわりに

僕のnoteあるあるなんですが、終わってみれば何でもない話です。

でも面倒くさい性格でこれをまとめておかないとすぐ難しいことをまた考えてうんうん悩んで大変なことになります。(だいたいおなかが痛くなります。)

やっぱりtwitterで写真を眺めるのも楽しいし、投稿するのも楽しいです。
会話するのも楽しいし、美術館みたいにいい写真を収集するのも楽しいです。

そして拡散されるのもいいねってされるのも嬉しいです。

この純粋に嬉しい、って気持ちでまっすぐいられたらなと思っております。

サポートいただけたら嬉しいです。のんびり写真を撮り続けています。