見出し画像

「AのようなA'」への警鐘

はじめましての方ははじめまして。また読んでくれた方はありがとうございます。hiloaki.kと申します。今回は長々と考えていることを綴ります。

主に「映画のような写真」という文言についてです。口調が多少砕けますがご容赦ください。

1. 「のような」

この前、こんな主旨のツイートを見かけた。

「映像のワンシーンに写真の可能性を求めているようではおしまいだ」

このツイートがTLの流れに乗って現れた時、背筋がぞわっとした。
正しすぎると思ったからだ。そして、自分が「映画のような写真」を無感情でよいものとして受け入れていることに気付いたからだ。

cinemascopeが最近どうにも流行っているようだ。16:9の大枠に上下に黒帯を入れる。するとパノラマチックな写真と同時に黒帯が落ち着いたものを生み出す。
映画のような写真、の一番わかりやすい形である。

自分もそういう写真をよく好んで、フォトエディットをする。

こうしたフォーマットを造り、新しい写真の見方を提示することは素晴らしいと思う。
ただ一番初めの指摘が刺さるのは受け手としての態度のほうにあるかもしれない。

「この写真、映画みたいできれい」

「アニメのような風景写真」

「フィルムのようなデジタルカメラの写真」

発信者から送り出された写真やキャプションに対して、無感情にその誉め言葉を「良いもの」としてあてがってしまうその態度が問題だと思う。

これが例えば、

「汽笛の音がしそう」

「子供の頃を思い出す」

「美味しそうでおなかが減ってきた」

という感想だと自分の五感や感覚へのフィードバックがあり、提示された写真やキャプションが個人的なものとして昇華されている感じがする。

もっと言うと、同じ比喩の使い方でもこっちのほうがなんとなくしっくりくる。

「ちょっと変な夢みたいな写真」

「天国ってこんな感じになるの?」

上二つは Ryo Mizuha さんの写真を見ていつも思うことなのだが。

この比喩表現?というか感情表現の仕方ってどんな違いがあるんだろう、と悶々と考えていたわけで。
ちょっとだけ答えが見えた気がする。

2. AのようなA'

「この写真、映画みたいできれい」

「アニメのような風景写真」

「フィルムのようなデジタルカメラの写真」

これ、よくよく分解していくと
「このショートケーキめっちゃおいしい!なんかこのふわふわ感、マフィンに似てる~」
みたいな発言でしかない。

隣り合うジャンルのもので例えている状況。

これは確かになるほど、意味が解らないというのも納得。

写真を撮り、編集していくうえで映画や絵画・アニメを参考にするのは大事なことだと思う。
実際、いろいろな画像や映像、知識から影響を受けて写真という形に最終的に落とし込んでいるのだから。

画像1

ただ、受け手側はそうした影響をそのまま受け取ってはいけない。
目の前にある写真を、写真として理解していくことが重要なのではないだろうか。

パティシエさんが和菓子屋さんで影響を受けた小豆を使った斬新なメニューを作ったからと言って「和菓子みたい!うまい!」という感想はあまりに陳腐すぎる。うまいのは洋菓子と和菓子が混ざったところにあるはずで、受け手側はそれを言語化する役目だと思っている。

3. SNSにおける「AのようなA'」

とはいえ、SNSでは毎日のように映画のような写真が生み出されそれを「映画みたーい」といって受け入れる層がいる。

これはなぜなんだろうか。

二つ理由があると思う。

①何となくのイメージで語れてしまうから。

映画みたい、と言って具体的に何かの映像作品に言及することがあまりに少ない。
たとえばインターステラーみたい、とか逆に黒澤作品みたい、とか云々いろいろあるはずなのだが「映画」という大きいくくりに乗っかれば、受け手側はあまり考えずに発信しても大丈夫なのだ。

②一件のツイートで2度美味しいから

これは発信者側にも言えることなのだからより一層注意したい。
「映画みたいな写真」とか「フィルムみたいなデジタル」とかは要素が二つ入っている。「映画」+「写真」、「フィルム」+「デジタル」といった感じである。一度目の驚き「うお!映画のワンシーン!」の後に「えー!写真なのかよ!」という二度目の驚きを与えられるわけである。

これは僕があまり好まない
「タップして!ほら!!!!!!!縦写真びっくりするでしょ???????????????」に通ずるところがあることに気付いた。

それを自分で咀嚼して言語化しているのであればいいのだが思考停止状態で二度美味しい味をあじわってしまっている。うまいうまいとその味に魅せられてどんどんと自分の中の語彙や感覚から遠ざかっていることに気付けなくなってしまう。

いかんせん、SNSというツールは流れも速いし匿名だし広がることが正義とみなされがちだと思う。

だからこそ、受け手としてのリテラシーに注意していきたい。

特にパティシエが工夫を凝らしました、というものを「工夫凝らしてる!」という感想で終わるようにはなりたくないな。

画像2


AをBで例えられる人間になるように、まずは一歩目。といったところ。

道半ば。

サポートいただけたら嬉しいです。のんびり写真を撮り続けています。