9/22 庭の穴

家の庭に大きな穴が開いていた。子供のころのぼくが掘った穴だ。ある時ボーっとテレビを見ていると、男が人を殺したというニュースが流れてきた。男、という情報しかわからなかったが、ぼくは「これがもしお父さんだったらどうしよう」と思った。どうしよう、そうかもしれない。お父さんは家にいなかったから、決してありえないとは限らない。そう思った。ぼくはその日、父が帰ってくるまで不安だった。大きな穴は、確かその数日後に掘った。

なにかがきっかけで、突然不安になってきた。準備をしておこうと思った。ぼくはうっかり、あるいは衝動的に……誰かを殺してしまうかもしれないし、あるいは家族や友達が、誰かを殺してしまうかもしれない。不安になってきた。その万が一の万が一のために、ぼくは庭に穴を掘っておこうと思った。もしものとき、その中に死体を埋めておく穴が必要だと考えた。

庭には草が「コ」の字型に生えている。庭の中心にはレンガが敷き詰められており、そのレンガを一個ずつ剥がしていくことにした。デカいシャベルを使い、テコの原理で一つずつ引きはがしていく。

夏だ。重労働である。でも親が働きに出ているときと、ぼくが家にいるとき、二つが重なるのはこの時期しかない。熱さで乾いたレンガを引きはがした裏の土は湿っていて、暗くて、水っぽくて、レンガを剥がすと少し涼しくなったような気がする。20数個のレンガを引き剥がすと、掘れば人一人分か二人分が縦に入りそうなスペースをつくることができた。

ぼくはモグラをイメージしていた。ああいう風になればいいだろうと考え、縦の穴を掘ることにしたのだ。掘り進める段になってからは上手くいった。掘って、土を大きなビニール袋に入れるという作業を繰り返し、2mほどの大穴ができた。作業の途中で入れておいた梯子に登って穴から出ると、熱気が嫌になり、もう一つ掘ってそこに入っていたいと思ったが、さすがにそんなことはしなかった。

そのあと、袋に入れた土に色々なものを混ぜた。スーパーで買ってきた大量の七味唐辛子、香草、それから胡椒だ。人間を埋めたときに一番怖いのは、野生動物が嗅ぎ付けてそこを掘り返すことだ、というのをぼくは聞いていたので、なら埋める時の土に匂いの強い香辛料やスパイスを入れて動物の鼻を麻痺させてしまえばいい、と考えたのだ。

鼻にガーゼを詰めたまま瓶の蓋を開け、土の中に流し込む。手を思いっきり突っ込んでグルグルかき混ぜていき、湿って涼しかった土がすっかりぼくの体温と同じくらいになり、赤や緑が点々と混じったまだらの土が出来た。
少し余ったスパイス類は土のなかに捨て、そこから梯子を引っ張り出し、土の入ったビニール袋の先を結んでなかにゆっくりと入れた。ゴミ捨て場で拾った木の板を穴の上に敷き、案外頑丈なその板の上にレンガを元通りに見えるよう置いていった。

念の為、何度かその上を歩いてみたけど特に板が割れることもなかった。穴のサイズに対して板がかなり大きかったからだろう。最後に板が見えないように土で隠し、ぼくの準備は終わった。

何年かして、ぼくはその穴を確認した。レンガを移動させ、土を払ったところに懐かしい板が見えたところまで、ぼくはとても嬉しかった。板を外すと、そこには土があった。穴が見えなかった。埋められていたのだ。

庭には親もたまに草を刈ったりしにくる。管理人がやってくることもある。ぼくの不安を知らない誰かが、勝手に埋めてしまったんだろうか。それとも知らない誰かが、先にこの穴を使ってしまったんだろうか。

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