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7/18『シン・サークルクラッシャー麻紀』を読んだ。

面白い本を読んだ直後に書く文章は必ず普段と文体が変わる。文字を追っている途中からテンポや言葉遣いを真似しつつ脳内で感想を言いたくなるからだ。この小説はちょい数年前に書かれた短編小説『サークルクラッシャー麻紀』に別の小説を合体させて書き直された小説なので頭に「シン・」と冠され、そして帯文には「あのサークルクラッシャーが帰ってきた!」とある。前述の経緯を知らなかった自分は「あの」ってあるけど誰だよ、と思った。それと読んでみて「サークルクラッシャー麻紀あんまり出てこないじゃねぇか」と思った。しかし登場人物を思い返すとサークルクラッシャー麻紀の顔ばかり浮かんでくる。だからタイトルはこれで良いのだ。そんなの表紙にイラスト描いてあるからだろと言われたらそうかもしれないが、実際浮かんでくるのだから仕方ない。

表紙といえば、この本の帯には「童貞は全員読んでください。童貞からのお願いです」という、Amazonレビューにあったとかいう文が書かれている。個人的にこういうのはよろしくないと思う。こういう類のフレーズを書く奴は文学とかが好きで、なおかつリプ欄やコメ欄といったあらゆるインターネットの欄で感想大喜利をやることに頭が最適化されており、Twitterスペースを開いては仲間内で自分の性癖を如何にキャッチーなフレーズで表現できるかを競う「一番気持ち悪いやつが勝ちバトル」をやっていたりする。いやしていないかもしれないが、していそうだしそれは不健康だから辞めた方が良いと思う。 

この小説の序盤、サークルクラッシャー麻紀によってバカスカとクラッシャられていく文芸サークル「ともしび」に所属するのは大体がまさにそういう奴らだ。彼らはサークルクラッシャー麻紀による「だいしゅきホールド」で次々と陥落していく。自分たちが童貞であることに何らかの意味を見出していたにも関わらず。彼らは今まで「芸術は〝もっていない〟者によって産み出される」的なよくある信仰を胸に毎日文学と向き合い続けてきた。しかし麻紀に誘われカラオケで気持ちよく十八番を歌いそのままクラッシャられる。某有名新人賞の一次、三次をそれぞれ通過したという実績を持ち、ゆえに地の文では名前の代わりに一次、三次と呼ばれる2人の文学青年と、特に実績が無いゆえ普通に名前で呼ばれる男・ケンタの3人は次々と麻紀によって非童貞となってゆく。かつて「意中の相手とセックスできる機会が何度あろうと、ごちゃごちゃ理由をこねくりだしてそれを回避する。それこそ文学的態度である」とかなんとか思っていたに違いない3人はあっさり筆を置く。いや3人がそう思っていたかどうかは知らないが、文学にはそういう、「(したいにも関わらず)なぜかセックスをしない」少年を描く系譜があると何かで読んだことがある。その系譜がいずれラブコメに進化するのだという。まぁそんなことはどうでも良い。大事なのは3人が筆を置いたということだ。なぜなら筆を置かず文学を続けようとした男が1人、いたからだ。それが今作の主人公にして自ら代表を務めるサークル「ともしび」を麻紀によって完全にクラッシャられた「部長」である。『シン・サークルクラッシャー麻紀』は、部長が文学をする物語だ。それはなぜか。麻紀とセックスできる機会が何度あろうと、ごちゃごちゃ理由をこねくりだしてそれを回避したのが部長だけだからだ。こう書くと、この小説が例の「「芸術は〝もっていない〟者によって産み出される」的なよくある信仰」を正当化してくれるのかと思う人もいるかもしれない。そんなわけないだろ!ふざけるな。

以上が『サークルクラッシャー麻紀』の試し読み部分にあたる内容である。いや、今作は別にどこのサイトでも試し読みなどやっていないが、自分が「サークルクラッシャー麻紀の試し読みができるページを特設サイトに作れ」と言われたら大体この辺りまでを読めるようにしておこうと考えるくらいの内容をネタバレしながら紹介した。18/252ページまでだ。

サークルクラッシャー麻紀の朝は早い。

『シン・サークルクラッシャー麻紀』を読もう!



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